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劇中劇『ピンク・オペーク』とジェンダーの揺らぎ
物語は1996年から始まる。学校でも家庭でも疎外感を抱えているティーンエイジャーのオーウェンはあるとき2つ年上のマディに出会い、深夜のテレビ番組『ピンク・オペーク』の存在を教えられる。ふたりはその番組にいっしょにのめりこむことで親密になるが、ある事件が契機となり離れ離れになる。やがてオーウェンはマディと再会するが、マディの超常的な話を聞くうちに、現実との境目が曖昧になっていく……。

まず興味深いのが、ふたりが夢中になる番組『ピンク・オペーク』の内容だ。ティーンエイジャーの少女イザベルとタラが超能力的なパワーを駆使しながら怪物と戦う設定のもので、最大の敵は「ミスター・憂鬱(メランコリー)」と名づけられている。モデルとしては1990年代末から2000年代序盤まで放送されていたヤングアダルト向けのバンパイアホラー『バフィー〜恋する十字架〜』があるそうだが、要はティーンエイジャーの女の子たちに人気を博した2000年前後のドラマシリーズのイメージだろう。

オーウェンは番組を観ているうちにイザベルに感情移入するようになる。わたしも子どもの頃『セーラームーン』に夢中になっていたものだが、ゲイや生まれたときに割り当てられた性が男の子だったトランスジェンダーあるいはノンバイナリーの人びとが子どもの頃に女児向け(とされる)番組に思い入れていたという話はよく耳にする。が、オーウェンが父親に『ピンク・オペーク』を「女の子向けの番組だろ」と否定されるように、そうした番組を観ることは「男らしくない」こととして、世間的には忌避されがちだ。いまでもそうした傾向は残っているのだから、本作の時代設定である1990年代ならなおさらだろう。ここでオーウェンは自身のジェンダーアイデンティティを発見していないクィアの子どもとして描かれており、だからこそ、社会的に男の子である現実の自分よりも、テレビのなかで恐ろしい敵と戦う女の子のほうに同一化していくことになるのだ。

そうした意味で本作はクィアの子どもが本当の自分をポップカルチャーを通して発見していく物語と言えるのだが、そのことが単純に喜ばしいことではなく、混乱と恐怖に満ちたものとして描かれている。オーウェンとマディは疎外感を抱えるクィアのティーンエイジャーとして『ピンク・オペーク』のイザベルとタラのように特別な絆を育んだのちに、決定的に別々の道に進むことになる。シェーンブルンは本作を「自分がトランスジェンダーであると発見する瞬間についての映画」だと説明しており、ふたりの分岐はトランスジェンダー当事者の間においても自己発見のタイミングや経験が異なることを示唆している。オーウェンはそして、自身のジェンダーアイデンティティを発見することができないまま大人になり、孤独を深めていくことになる。
