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『シュバックフェスティバル』体験記。ガザの現実と日常の物語を描くアラブ系芸術祭

2025.9.16

#ART

東京を歩いていると、観光客として滞在している人のみならず、以前に比べてはるかに多くの在留(していると思しき)外国人の姿を目にするようになった。事実、2025年現在の東京都内の外国人数は72.1万人で人口のおよそ5%。10年前の41万人から比べると、およそ70%膨れ上がっている(東京都人口統計課「外国人人口」)。

しかし、東京の外国人比率は、他の大都市に比較すればとても低い。ニューヨークでは23.1%、パリでは人口の約20%、そして、今回紹介する『シュバックフェスティバル』(『Shubbak Festival』)が開催されているロンドンでは、実に40%が移民となっている(※)。

​​増え続ける移民に対する反発を背景に、イギリスでは極右勢力が呼びかける反移民デモに10万人以上が参加したり、反グルーバリズム・反移民を掲げる政党「リフォームUK」が二大政党に迫る勢いで支持を集めるなど、激しいバックラッシュが巻き起こっている。ただ、そんなバックラッシュの影に、移民と社会との関わりを真摯に考えている人々がいることも忘れてはならない。そのひとつが、ロンドンで開催されている『シュバックフェスティバル』だ。

アラブ系移民たちが自らの手で運営するこの2年に1度のフェスティバルには、演劇やダンスといったパフォーミングアーツを中心に、絵画展やポスター展、ファッションショー、パレスチナに連帯するパンクのライブ、トークイベント、ワークショップに至るまで、大小50あまりの演目がラインナップされている。「窓」を意味するシュバックというアラビア語が示す通り、この窓を通して、アラブ圏の豊かなアートの動きを概観できるのだ。

今年、筆者はロンドンに滞在して、たまたまこのフェスティバルに巡り合い、5月23日から6月15日まで3週間にわたって行われたフェスティバルの一部を観ることができた。ヨーロッパ最大規模のアラブ系アートフェスティバルとはいえ、有名な国際アート展や国際演劇祭に比較すれば決して大きくない規模ではあるが、会場にはアラブ系の観客だけでなく、いわゆる白人の観客も数多く詰めかけていて、アラブ系のコミュニティのイベントであると同時に、開かれた雰囲気を感じられた。イギリスに限らず、日本を含めたほとんどの先進国で移民への反発が高まるなか、移民やそのアイデンティティを持つ人々による開かれたフェスティバルの存在は、多くの人々に知られてほしい。

そこで、今回は、このフェスティバルで取り上げられたいくつかの作品を紹介するとともに、芸術監督であるアリア・アルゾウグビ(ALIA ALZOUGBI)とのメールインタビューを織り交ぜながら、この稀有なフェスティバルを紹介していこう。

※各国のデータは下記データに基づく
Immigrants in New York( American Immigration Council、2023年)
Working Together for Local Integration of Migrants and Refugees in Paris(OECD、2018年)
BRIEFING: Migrants in the UK An Overview(The Migration Observatory 2024)

国際フェスティバルの開放性と、コミュニティフェスティバルの閉鎖性の調和

実は、ロンドンを訪れるにあたって、友人から「アラブ系のフェスティバルがある」と教えてもらっていたのだけれども、あまり気乗りしなかった。そもそも、わたし自身、アラブ系の状況に詳しい訳ではないし、中東ならともかく、わざわざイギリスでそれを観る必要も感じられなかった。でも、初めてロンドンを訪れてみると、そこで目にする人々の多くはアングロサクソンではなく、移民や、移民の背景を持つ人ばかり。アジア、アラブ、ラテン、アフリカ……そのバックグラウンドの多様さについては、これまでさまざまな情報で見聞きしていたけれども、いざそれが目の前に展開されるとやはり驚きを禁じえない。そしてこの街の中で、アラブ系の人々がどんなフェスティバルを行っているのかが気になって、フェスティバルの演目のひとつである『KOULOUNISATION』に足を運んでみた。

『KOULOUNISATION』舞台写真

この作品は、アルジェリア出身で、現在はベルギーに住むサリム・ジャフェリ(Salim Djaferi)というアーティストによるレクチャーパフォーマンス。ここでは、「Colonization(植民地化)という言葉に対する適切なアラビア語訳を探していくという物語をメインに、アルジェリアの書店で、アルジェリア戦争の関連書籍が「戦争」の棚ではなく「革命」の棚に分類されていたこと、彼の祖父や母がよりよい職を得るためにアラブ系の名前から西洋系の名前に変えてきたエピソードなど、西欧の生み出してきた「歴史」に対していかにアラブ系の人々が翻弄されてきたのかが見えてくる。以前から、国際演劇祭の現場に足を運ぶと、西洋人がアジア人などの有色人種を「使い」ながら、形ばかりの「脱植民地化」に留まる作品が多いことが以前から気になっていた。けど、この作品は、西欧の視点からではなく、彼らの視点から、彼らのコミュニティに向けて語られていたのが印象的だった。

また、その作品の内容だけでなく、観客の受け入れ方も印象深い。観客席に座るのは、アラブ系の人々のみではなく、およそ半数が、いわゆる白人と呼ばれる人々。また、そのうちの大半は最先端のアートを目撃するために来た業界関係者や見巧者ではなく、ロンドンのアラブ人コミュニティにとって大切なものとして、作品を鑑賞しているように見える。国際フェスティバルの開放性と、コミュニティフェスティバルの閉鎖性が、とてもいい形で調和しているようにも感じられ、150席ほどの観客席は、和やかな雰囲気に包まれていた。

『シュバックフェスティバル』の成り立ち

さて、ほかの演目の紹介を紹介していく前に、簡単に、『シュバックフェスティバル』の成り立ちについて説明していこう。

2011年、翌年に迫ったロンドン五輪に向けてさまざまな文化イベントが開催されており、『シュバックフェスティバル』もそのひとつとして、ロンドン市のサポートを受けて開始された。当初から、SWANA(South West Asia and North Africa)と呼ばれる中東・北アフリカ地域の文化を対象としてきたこのフェスティバルでは、これまで数多くのアーティストを紹介してきた。また、2011年といえば、アラブの春が起こり、中東地域で民主化の動きが広がっていた時代。激変する状況の中で、アラブ地域における芸術性の高さを伝えていくことや、アラブ地域における表現の自由を守っていくといった柱の上に生まれたのがこの『シュバックフェスティバル』であった。

前芸術監督であるエックハルト・ティーマン(Eckhard Thiemann)は、前者の芸術性の高さの伝達に注力し、ハイアートをメインとする演目を招聘していた。しかし、2021年のフェスティバルから芸術監督に就任したアリア・アルゾウグビはそのコンセプトを少しずつ変えていく。今回のフェスティバルでも、フランスの『アヴィニョン演劇祭』にも招聘されたパレスチナの劇団、カシャービ劇場(Khashabi Theatre)による大規模な演目『MILK مِلْك』を、客席数1000席あまりの大劇場に招聘しているように、芸術路線を一部受け継ぎつつも、彼女は、フェスティバルセンターとして用意された「Shubbak Corner」を拠点としながら、コミュニティに向けてZINEをつくる少人数ワークショップなども積極的に展開するようになっていった。

Shubbak Cornerで行われたワークショップの様子

彼女にとってフェスティバルを実行する大きなモチベーションとなるのが、コミュニティとの対話であるという。

アリア:アラブやSWANAといった多様で異質性に富むコミュニティのニーズはさまざまであり、変化も多い。『シュバックフェスティバル』は、そうした多様性を誠実に受けとめ、コミュニティを構成するさまざまな人々との継続的な対話を通じて活動を行っています。

そして現在、アラブ系コミュニティの人々にとって、特に喫緊のトピックとなっているのが、2023年からイスラエルによって大規模な破壊行為が行われているガザの問題である。

「抵抗の物語であると同時に、わたしたちの日常の物語でもある」

2年に1度開催される『シュバックフェスティバル』は前回、2023年の5月に開催された。つまり、2025年のフェスティバルは、2023年10月のイスラエル軍ガザ侵攻以降、初めての開催となる。そこで、今回のフェスティバルでは、『パレスチナ・ポスター芸術展』と題された、1960年代から現代に至るまでのパレスチナの政治ポスターを並べた展覧会や、パレスチナ人コミックアーティストの作品を紹介する展覧会、あるいは、パレスチナ系アイルランド人であるサミ・アブ・ワルデ(Sami Abu Wardeh)によるスタンドアップコメディ『PEACE DE RESISTANCE』が行われていた。いったい、パレスチナのスタンドアップコメディとは……?

サミ・アブ・ワルデ

客席数100席数あまりの劇場に足を運ぶと、満員の観客を前に、ダンス、歌、ストーリーテリング、そしてジョークなどを交えながらパフォーマンスが行われていた。そのストーリーは、コルシカ島で発見された「Revolution Today」と書かれた紙を発端とするファンタジックなもの。この紙は、その運ばれる場所へ革命をもたらし、この紙を巡って、アルジェリア戦争を背景としたパレスチナ人男性と、アルジェリア人女性とのロマンスが語られていく。そして、アルジェリアでの革命が一段落すると、男はパレスチナへと向かう……。随所に笑いを交えつつ、チャプターごとのジョークコーナーではイギリス人をコケにし、会場は多くの笑いに包まれる。

アジア人である筆者は、この公演にとって部外者であるにも関わらず、同じ舞台を見て、同じように笑うことで、どこか一体感が感じられるのがおもしろい。そしてカーテンコールには「FREE FREE PARESTINE」のコールが起こり、観客席からもレスポンスが飛ぶ。「しかし」という逆説ではなく、怒ることも、笑うことも、コールを叫ぶことも、彼らにとってはどれも地続きなのだろう。

パレスチナにおける表現について、アリアは次のように語る。

アリア:正義と人間性への信頼が崩壊しつつあるいま、フェスティバルを開催するとはどういう意味なのでしょうか? かつて揺るぎなかった芸術への信念が懐疑へと砕け散ったとき、私たちはどのように、再び芸術を信頼できるのでしょうか? わたしは、芸術を「抵抗」として「記録」として、そして「主張」として信頼しようと思います。破壊のさなかでも、芸術は、確かな希望を抱き続けるのです。

2025年の『シュバックフェスティバル』は、私たちにとってこれまでで最も明確な意志をもったキュレーションとなりました。そして、観客からも「これまでで最も大胆だった」という声が寄せられました。

同じくパレスチナの人々によって上演された『APPLICATION 39 (FOR THE 2048 GAZA SUMMER OLYMPICS)』という作品は、第1次中東戦争から100年後の2048年、ガザにおいて夏季オリンピックを誘致するというストーリーのブラックコメディ演劇。2040年になってもいまだにイスラエルに完全支配されているガザ。そこで、どのようにオリンピックが開催できるだろうか? スタジアムをどこにつくるのか? 選手村はどうすれば……? そんな話し合いが次々と展開されていく。2025年の戦争が、ストーリーの中で「あの時代」のこととして語られつつ、その瓦礫が一切片付けられていないまま、という設定も印象深い。

パレスチナに対する、イスラエルの圧倒的な暴力と、国際社会の無理解がまん延し、出口の見えない状況のなかで、アリアが考えたのが「物語ることの意味」だったという。

アリア:メディアは、わたしたちが殺されているときにしか注目しません。しかし、わたしたちアラブ系の人々を「哀悼に値しない存在」(引用者注:思想家のジュディス・バトラーの用語。社会構造によって不可視化・匿名化されてしまう人々を指す。なお、バトラー自身はユダヤ人であるが、イスラエルの占領や暴力を一貫して非難してきた)

とするようなメディアの語りに、わたしたちははっきりと異を唱えます。そのため、2025年の『シュバックフェスティバル』におけるもっとも重要な行為は「私たち自身の物語を語りつづけること」でした。それは、抵抗の物語であると同時に、わたしたちの日常の物語でもあるのです。

『APPLICATION 39 (FOR THE 2048 GAZA SUMMER OLYMPICS)』舞台写真

生きるに値する身体

『シュバックフェスティバル』は、コミュニティによって、あるいはコミュニティに向けて行われるシンプルな意味での「祭り」であるのみならず、現在主流的な語りに対して抵抗し、自分たちで「物語」をつくっていくためのフェスティバルだ。

演劇作品のように文字通りの意味での「物語」をつくるのみならず、彼らは、別の形でもそれをつくっている。その一端が垣間見えるのが、フェスティバルのオープニングで開催された『The People’s Catwalk』と名付けられたファッションショーだった。残念ながら筆者は見逃してしまったものの、ここでは、SWANA地域のインディペンデントなファッションブランドによる、ポップアップショップがオープン。普段、アートとはやや距離がある人々もフェスティバルを訪れた。

『The People’s Catwalk』舞台写真

ここで行われるのは、SWANAの人々の持つ優れたファッションセンスだけではない。アリアは、このファッションショーを、一つのイベントという意味を大きく超えて、一つの身体論として捉えているようだ。

アリア:メディアでは、私たちの身体が、あたかも「使い捨て可能なもの」であるように語られています。どうすれば、こうした非人間化された語りに対抗できるのか? どうすれば、私たち、SWANA系の人々の身体が「生きるに値する」ものであり、「他の身体と同様に美しく、神聖な存在である」と主張できるのか? そこで、一般的なファッションショーのように、特定の身体をランウェイに乗せるのではなく、アラブ系をはじめ、あらゆる体型、年齢、能力の「モデル」たちを集めました。ステージに立ったSWANAの身体を通じて、私たちの尊厳はかけがえのないものであることを伝えていきたいんです。

『The People’s Catwalk』舞台写真

これまでのアートフェスティバルは、華やかな雰囲気で外部の人々を呼び込んだり、地域の観光産業と結びついたり、最先端の作品を見せることといった役割を担いながら多くの人々を魅了してきた。けれども、コロナ禍以降、各国で文化予算が削減されるなか、あらためてフェスティバルの意味が厳しく問われている。

『シュバックフェスティバル』は、イギリスの白人のみならず、わたしのようなアジア人にも開かれている。けれども、彼らの眼差しは、目の前にある具体的なアラブ系コミュニティへと向けられていて、フェスティバルはこのコミュニティを活性化するために行われる。個々のプログラムの豊かさのみならず、フェスティバルを行う意味を思考し、その可能性を切り開いている『シュバックフェスティバル』の姿は、ロンドンや中東から遠く離れた日本のアートシーンにとっても、参考になるものではないかと思う。

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