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音楽教育の視点から見えた、文化への入り口をひらく身近な学びの場
―後藤さんは、かなり足繁く藤枝に通っていると仰っていましたが。
後藤:日本の音楽って、どこか根無し草じゃないですか。僕は今でもアメリカの音楽は好きですが、最近の世界情勢を鑑みると、無批判に欧米カルチャーを享受してきた自分も、ふと我に返るというか。ルーツを見直すいいチャンスなのかなと思っています。例えば、藤枝にも茶揉み唄があったらしく、もう歌える人はいないみたいなんですが今ならまだそういう労働歌を掘り起こせるんじゃないかと思っているんですよ。

柳樂:なるほど、ガチのオーラルヒストリーを実践されてらっしゃるんですね。でもそういう取り組みを通して「このまちも実は音楽のまちだったんだ」って機運を高めていくのはとてもいいことだと思います。
出口:今回トークセッションに参加していただいた皆さんは、私も含めて全員が1970年代の中盤から後半の生まれなんですよね。この歳になると、自分のルーツや地域の歴史に思いを馳せるようになるのかもしれません。
―トークセッションでは、音楽教育という視点から、文化を守り育むことについても語られましたね。
出口:「教えたがりオジサン」にはなっちゃいけないけど、こういう場を通じて、僕たちの経験をシェアすることで、若い人たちが自分も何かやってみようと思うきっかけがつくれればいいなと思っています。
柳樂:去年、僕の地元島根の高校の音楽教員の方々と「音楽と教育」について語り合ってきたんです。その時に僕が話したのは、ジャズの歴史を教えるときに、三角貿易やフェミニズムの話から始める方法もあるよということで。必ずしも音楽じゃなくて、社会科や国語科などの違う科目の切り口から話すことで、違う入口から音楽に興味を持つ子が出てくると思うんですよね。そう考えると、自分がこれまで音楽ライターとしていろんな分野に関わってきたことが、教育の現場にも役立つなと思えたんです。

出口:若い頃は、勉強することを「ダサい」と思うかもしれないけど、バックグラウンドを知ることで、より楽しめることはたくさんありますよね。そのことにいつ気づいても遅くないんだなってことは、僕が管理している公民館の生涯学習を見ていると実感します。
―柳樂さんのトークにあった、海外の公共施設やNPOによる音楽教育のように、案外公民館のような施設がその受け皿になっているのかもしれません。
柳樂:僕はここ数年、青山学院大学で一般の方も参加できる、イギリスの黒人文化をジャズの視点から学ぶ講座を担当しているんです。ある学生が授業の後に、「親より年上の人たちが真剣にメモを取っていてカッコよかった」と感想を書いてきたことがありました。それを読んで学びの場って本当に大事だなと感じたんですよね。だからこそ学びたいと思った時に、公民館などの公共施設が気軽に使える場があるのはいいことだなと思います。
後藤:確かに学びって学校の中に閉じちゃうと、チャンスが失われてしまいますよね。大人が「勉強したい」と思っても、どこに行けばいいのかわからないのと同じで、学校では教えてくれないことを学外で学べる「寺子屋」みたいな場があれば最高だなと思います。僕らのスタジオの近くに、ライブをやらせてくれるような大きなお寺があるんですが、例えばそういうところで放課後ギターの練習をするとか、仲間と合奏する楽しさを伝えられたらいいなと思っていて。音楽を学ぼうとすると、どうしてもヨーロッパ的な権威主義に偏りがちですが、もっと身近で俗っぽい入り口があってもいいんじゃないですかね。
