ROTH BART BARONのニューアルバム『8』の完成に合わせ、三船雅也の初となる撮り下ろし写真集『RBB “ZINE” BEAR MAG vol.3 – “8” Photo Book』(CD付き)がリリースされた。同時にこの作品を記念し、井上嗣也、上西祐理、岡室健、嶌村吉祥丸+樋口舞子、藤田佳子という6人のクリエイターとコラボした企画展『音楽とグラフィック#002』が、11月9日〜12月17日まで池尻大橋「OFS TOKYO」にて開催されている。
6人の中で唯一、写真をメインフィールドとして活躍するフォトグラファー / アーティストの嶌村吉祥丸。音楽や写真を中心にマルチに活動する三船と同じく、彼もまたラーメン店やフレグランスブランドの立ち上げ、ギャラリーの運営など写真家の幅に収まらず、さまざまな領域で表現活動を続けている。今回そんな二人と、写真や音楽にまつわる対談を企画した。ひとつの表現に固執することなく、自由に世界と交わりながら作品を生み出す彼らの創造性は、いったいどこから生まれてくるのだろうか。
「お互いの写真を撮り合う」という企画に対して、何の偶然か示し合わせたように同じカメラを持って現れた二人。展示会場近くの散策から始まった対談は、新作や展示の話に始まり、コロナ禍や移住した海外での暮らしの中で気づいたこと、そして彼らの表現の出発点とも言える、世界にあふれる魔法に気づきアイデアを見いだす方法まで、おどろくほど呼応していた。「たいせつなことは世界のちょっとした魔法に気づけるかどうかです」二人が覗くファインダーにはどんな景色が映っているのだろうか。
INDEX
「三船さんの写真は音楽と匂いが同じ。私小説的でありながら俯瞰している」(吉祥丸)

東京生まれ。音楽家、写真家。2008年にROTH BART BARON を結成。現在は活動の拠点をドイツ・ベルリンと東京の2箇所とし、2023年には2度目の『FUJI ROCK FESTIVAL』にも出演。
2021年には、アイナ・ジ・エンドとの2人組アーティスト・A_oによる“BLUE SOULS”がポカリスエットのCMをきっかけに話題に。2022年は、ベルリン国際映画祭でアムネスティ国際映画賞を受賞した映画『マイスモールランド』の劇伴音楽と主題歌を手掛けた。現在は11月より全13公演の全国ツアー<ROTH BART BARON TOUR 2023-2024『8』>を開催中。
ー散歩しながら撮影をするのにぴったりの秋晴れで良かったです。お二人はふだんからこうして歩きながら写真を撮ることが多いのでしょうか。
三船:僕は街中を散策していて、いいなと思った風景を写真におさめることが多いです。今回の写真集にも、ドイツに移住してからの生活で目にしたキラキラとした気づきや発見をおさめた写真が収録されています。
吉祥丸:僕もふだん写真を撮るときは同じように、日常の中にある風景で何か引っかかるものや「いいな」と思った現象に、素直に向き合うようにしています。

東京生まれ。アーティスト。写真家。国内外を問わず活動し、写真だけでなく、フレングランスブランドkibn、ラーメン吉祥丸、sameギャラリーの共同主宰キも務める。主な個展に『Unusual Usual』(Portland, 2014)、 『Inside Out』 (Warsaw, 2016)、『photosynthesis』(Tokyo, 2020)など
ーいま歩きながら撮影していても、お二人が惹かれている光景はどこか似ているような気がしますね。それにしても、二人ともまったく同じmakinaの中判フィルムカメラを使用していることには驚きました。
吉祥丸:僕もそれには驚きました。しかもmakina67だけではなく、サブで持ってきたCONTAXのコンパクトカメラもまったく同じでしたね。
三船:実は昨日も、中目黒のコーヒー屋さんでぼーっとしていたら、たまたま自転車で通りかかった吉祥丸さんが颯爽と現れて(笑)。それが初対面だったんですけど、本当に不思議な偶然ばかりですよね。

ーだからでしょうか、今日も最初から打ち解けた雰囲気を感じました。とはいえ、作品をいっしょに制作するのは今回がはじめて。吉祥丸さんは三船さんの写真に対してどのような印象を持ちましたか?
吉祥丸:僕は音楽を入り口に三船さんの存在を知ったので、そういう意味では音楽性と乖離のないすてきな写真だなと感じました。写真から感じる匂いと音楽から感じる匂いが同じように思えました。私小説的でありながら俯瞰している感覚もあって、三船さん自身の表現、記録として根っこにある思想が一貫している。僕も自主制作では日常の中で撮る写真が多いので、「これは思わず撮ってしまう瞬間」と共感できる写真からは、どこか自分と近い視点も感じました。

ー今回の展示『音楽とグラフィック #002』では、ROTH BART BARONのニューアルバム『8』から6人のクリエイターがそれぞれピックアップした1曲をテーマに作品をつくっています。吉祥丸さんはどんな作品をつくられたのでしょうか?

吉祥丸:『8』を何度もループして、“Boy”という曲を選びました。悩みに悩んで、最後は直感的に選んだのですが、理由をつけるとしたら歌詞に抽象的な言葉が多かったからだと思います。というのも、写真が歌詞を具体化して何かを定義づけてしまうのは避けたいなと思ったから。今回は三船さんの写真集もありますし、作品とはすこし違う雰囲気を持ちながら、『8』に寄り添うための余白があるものをつくるべきだと考えました。
吉祥丸:今回、ほかの出展者がグラフィックデザイナーさんばかりという中で、唯一三船さんと同じ写真家という特殊な立ち位置の僕ができることは何かと考えていくうちに、結局一周回って楽曲のタイトルをなぞるかたちで「とある男の子の後ろ姿の写真」を選ぶことにしました。この方向性にしても最後は直感でした。
三船:吉祥丸さんの写真って、人間関係の中に漂うほんの一瞬を撮ったものが多い。そこには優しさがあるけど、ピッとした距離感もあって。その柔らかさと緊張感の絶妙なバランスが好きなんですよ。実は僕もまだ展示が始まるまでは見ないでおこうと思って作品は見てないんですけど、そういう魅力を知っているからこそ、それが“Boy”と出会ったときにどんな作品になっているのか楽しみです。

INDEX
新作のテーマ「ジュブナイル」に繋がるドイツへの移住で気づいたこと。「人間は個人的な喜びや発見でしかドライブできない」(三船)

ーこの写真集と新作『8』のテーマである「ジュブナイル」。「少年期」を意味し、一般的には子どもたちが冒険を繰り広げる小説・映画のジャンルを指す言葉ですが、三船さんはなぜ今回の作品にこのテーマを選んだのでしょうか。
三船:いろいろなタイミングが重なって、今回ジュブナイルをテーマにした作品をつくることになったけど、実はぼんやりとした構想は10年以上前から持っていました。世界がコロナや戦争で大騒ぎでも、瓦礫の中で楽しく遊ぶ子どもたちの姿を目にして、彼らにとっては世界のことよりも彼らなりの冒険を通して新しい発見があった、友だちができたっていう喜びが大きいんじゃないかなって。結局「世界のために」ではなくて、そういう個人的な喜びや発見の中でしか人間はドライブできないんじゃないかって思ったんです。
それは今年ドイツに引っ越してみて実感として得られたことでもありました。ベルリンで始まった新しい生活には、これまでの当たり前が通用しないルールや価値観、見たことのないきれいな景色、新しい友人たち……あげたらキリがないけど、個人的な発見や喜びが詰まっていたんです。最近の3作はずっと世の中のことを考えてつくっていたこともあって、今回あえて「世の中なんて知ったこっちゃねえ」というテーマで作品をつくってみたらおもしろいんじゃないかって思ったんです。「ジュブナイル」は、そんな考えをひと言で表した言葉です。

ー1曲目“Kids and Lost”の歌詞や写真集の巻末にある言葉を見ると、社会に合わせることをよしとする日本への違和感のようなものもテーマに含まれているように感じました。
三船:ジュブナイルって根本的に、まだ大きな社会に属しきれていない子どもたちが社会に帰属していく過程の話なんです。言うなれば子ども時代の終焉。彼らは大人や社会に反発しないといけなかったり、逆に大人と手を組んでもっと大きなものと戦ったりする。その中で自分らを形成する何かに対する逆のアプローチが起きるんです。それは衝突かもしれないし、逃避かもしれない。“Kids and Lost”で描かれているのはそういうこと。これはドイツで暮らすことではじめて感じた違和感に端を発していて、自分を形成してきた日本社会に対する逆のアプローチが含まれているのかもしれません。

ーやはりドイツでの暮らしで得た経験が大きいのですね。
三船:ベルリンに引っ越してよかったのは、そこまで社会に帰属する必要はなくてもっと個人的な気づきに集中してもいいんだ、と気づけたこと。日本には社会のマジョリティが持っている価値観に合わせて、自分のかたちを変えられた人が評価される側面もあるなと感じていて。
吉祥丸:僕も以前ポートランドに住んでいたことがあるのでその感覚はすごくわかります。日本で生きていると、社会が「当たり前」とか「みんな」という概念を押し付けてくる。でもその範囲ってものすごく狭いんですよね。もともとは、みんなが気持ち良くすごすために良かれと思ってやっていたことだと思うんですけど。
三船:そうそう。帰ってきてびっくりしたのは、電車とか駅でドアの前に立つなとか、携帯を見るなとか、日本って人のコントロールをしようとするメッセージが圧倒的に多いんです。いちばん驚いたのは、家の裏の公園で幼稚園の先生が子どもを一列に並べて、「木に登ってはいけません、石を投げてはいけません」ってみんなに言い聞かせていたこと。ベルリンにはそういう光景はなかったんですよね。
ー移住の前に経験したコロナ禍の3年間も大きな衝撃だったかと思います。それが明けて今ようやく展示やライブも昔のように開催できるようになりましたが、どんなことを感じていますか。
三船:コロナで3年くらいマスクして緊張しながら僕らの音楽を聴いてくれるお客さんを見てきて、それをぶち壊そうともしてきたけど、今こうしてまたみんなが触れ合える世界になったときに感じるのは、みんなライブのようにフィジカルで繋がった場所がないと幸せを感じられないんだなってこと。僕としてはあらためてそこにフォーカスしたいという思いがあります。
吉祥丸:デジタル上でのコミュニケーションが当たり前になってきている中で、当然そこから受ける恩恵はありつつも、どこかで私たち人間はアナログでフィジカルな繋がりを求めているようにも感じます。たとえば、ある場所に物理的に「家」が存在していたとします。ある人にとってはその空間は「House」でしかないかもしれないけれど、今私たちとって必要なのはもっと手触りを持って繋がることのできる「Home」という概念なのかもしれません。全員が「いい音楽だね」「いい写真だね」という作品をつくろうとするのではなくて、今それぞれがフィジカルに繋がっている「Home」という概念や近くのコミュニティーに対して、問いを投げかけたり、対話をしていくことが、表現活動をしていくうえで今僕らがすべきことだと思うんです。
三船:人間である以上、そういう手触りのある繋がりはなくてはならないと思うんですよね。だから吉祥丸さんのようにギャラリーをつくって人をフィジカルで繋いでいることにすごい憧れます。ROTH BART BARONもギャラリーこそ持ってないけれど、誰でも参加できる「パレス」という、僕らを支えてくれるサポーターのコミュニティを持っていて。グッズのデザインやライブの物販はパレスのみんなが手伝ってくれてるんです。たしかに「Home」というのか小さい街なのか、もはや村をつくっているイメージがありますね。

INDEX
「世の中にはすでに好きな作品がある中でなぜ自分がやるか。この瞬間これを美しいと思えるのは自分しかいないと気づくんです」(吉祥丸)
ーフィジカルで繋がった「この場所・この人に響く作品」とはどういうものなのでしょうか。
三船:「日常の中に流れているものでありながら、日常をうまく超えられるような作品」ですかね。たとえば写真であれば、そこにあるものをただ写すだけではなく、吉祥丸さんだったら吉祥丸さん、僕だったら僕の視点でそこにあるものを撮ろうと思った意思がある。その中に「日常を超えようとする意思」を込められると、それがいい作品になっていくのかもしれない。

ー日常を越えようとする意思。それはどういう瞬間に生まれるのでしょうか。
三船:写真を撮ったり曲を考えているとき、とある場面が頭に浮かんできて、それにたどり着こうとする原始的な強い意思みたいなものを感じるときがあるんです。詩も最終的には言語としてアウトプットされるけど、むしろ最初は非言語的なイメージボードがあって、それを後から言葉にしています。ツールが違ってもどの表現も根っこにあるものはいっしょで、その瞬間をキャプチャーしたいから写真をとるし、楽器を弾き歌をうたう。僕の作品はメッセージ先行かと思われるかもしれませんが、実は最初はすごく非言語的で曖昧なイメージから始まっているんです。
吉祥丸:僕も常に頭の中で並行して考えている曖昧な概念がたくさんあって、それがたまたま時期や人と繋がったときに、香りのブランドやラーメンやギャラリーという具体的なプロジェクトになってアウトプットされる。おおもとにあるのは三船さんと同じで、非言語的で曖昧な何かなのかもしれません。

三船:もう勝手につくりたいことは浮かんじゃうから、あとはやるしかないんですよね。もっと言えば意思がアイデアに変わって、気付いたら何かをつくり始めている。わかりやすくたとえると、僕の場合はいつも10本くらいのアイデアの列車が走ってて、いつもそのどれかを運転している。そしてその列車が目的地につきそうになったら、隣を走る電車に飛び乗るんです。最後はもう放っておいても勝手に目的地を目指してくれるので。
「ジュブナイル」も10年くらい隣を走ってたけど、なかなか飛び乗るチャンスがなかった。でもドイツに行ってみて、さっき言ったような「個人的な発見や喜び」が自分に当てはまった瞬間に、今ならできる! と急いで飛び乗った感じです。

吉祥丸:「走っている列車に飛び乗る」という表現はおもしろいですね。列車の例を借りて言えば、その列車たちが実は振り返ったときに同じ線路を走っているということもあると思うんです。僕は展示をするとき、コンセプトに関連した論文や歴史、過去の別アーティストの作品などをリサーチするのですが、たとえば自分がむかし直感的に撮った写真の中にも、そのときに考えているコンセプトと同じ匂いのする作品があることも。列車は必ずしも同じ線路を走り続けているわけではなくて、交差したり、分裂したり、そのときどきによって変化しているようにも感じます。
三船:何かの魔法みたいに列車と列車が連結するタイミングがあるんですよね。実際、『8』にある“Closer”という曲はコロナが始まったときに「踊れる曲を」と思ってつくったものだけど、踊れない世界で3年間歌える気がしなくて、リリースしなかったんです。でも2023年になってコロナが明けた瞬間に、パズルがはまるように『8』に入れるべきだと感じた。どういうわけか歌詞も「ジュブナイル」にぴったりだったんです。
ーまるで、自分でも気づかないうちに列車に引き寄せられているようですね。
三船:もはや自分が運転しているわけでもないのかな。どちらかといえば列車にコントロールされている(笑)。

吉祥丸:そうかもしれませんね。先ほどの作品づくりの出発点にある意思の話とも繋がるのですが、世の中にはすでに自分が好きな音楽家や写真家がいる中で、なぜ自分がやらないといけないのかということが腑に落ちる瞬間があるんですよね。自分がこの写真を撮らないといけない……というよりも撮らざるを得ないんだという瞬間。このときこの場でこれを美しいと思えるのは自分しかいない、と気づくんです。その曖昧で直感的なものに自分がこれまで考えていた作品のコンセプトや思考を結びつけることで、作品が出来上がるんだと思います。
三船:吉祥丸さんの言葉を借りると、自分しか気づけない世界のちょっとした魔法に気づけるかどうか。そして一度気づいたら、その「世界の魔法」が持つ魅力を曲をつくったり写真を撮ったり、僕らなりの視点と意思を通してアウトプットすることで増幅しているんですよね。
