グータッチでつなぐ友達の輪! ラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコーナー「FIST BUMP」は、東京で生きる、東京を楽しむ人たちがリレー形式で登場します。
8月14日週は、神宮球場正面エリアで実施した公開生放送『マイナビ Swallows Summer Night Festival』を盛り上げるべく、ヤクルトファンで繋がる友達の輪をお送りしました。8月14日は幼稚園の年少だった6歳の頃からスワローズ一筋の編集者、熊谷洋平さんが登場。秋田で生まれ育ったにもかかわらずスワローズファンになったきっかけ、32年間応援し続けるスワローズの魅力について伺いました。
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6歳の少年を虜にしたスワローズ
Celeina(MC):熊谷さんは、普段は編集者として雑誌のお仕事をされているんですよね?
熊谷:はい。
Celeina:今でも神宮球場に行かれるんですか?
熊谷:そうですね。会社が神宮球場の近くにあるので、試合開始の午後6時には間に合わなくても、仕事を終えてから遅れて試合観戦をスタートさせるというか。エクストリーム出社じゃないですけど、仕事終わりの夜を充実させてくれる場所です。

タカノ(MC):その距離感いいですね。今年は何回くらい行かれましたか?
熊谷:今年はちょっと少なくて7回ぐらい。自分としては不本意というか、もう少し行きたいですね。
Celeina:1年間だとどれくらい見に行きますか?
熊谷:1年間に144試合があって、その半分ぐらいがホームの試合で。それの何分の1かという感じです。
タカノ:やっぱりヤクルトがずっと好きで、しかもその立地条件だから行きやすいっていうのもあって。
Celeina:もしかして職場を選ばれた理由も?
熊谷:そうではないです(笑)。ただ職場からのアクセスがいいので嬉しいですけどね。
Celeina:嬉しいですよね。偶然ということで。
タカノ:プロフィールでは6歳の頃からヤクルトファンということですけど、きっかけは何だったんですか?
熊谷:野村克也監督はご存知ですか? ノムさんって呼ばれていた名監督なんですけど。
タカノ:はい。
熊谷:ノムさんが監督の頃からファンで。さかのぼること1992年なんですけど、幼稚園が終わって2時ぐらいに家に帰ってテレビをつけると、当時はデーゲームで日本シリーズが開催されていて、青がチームカラーのヤクルトが強かったんですよ。あと、当時は今よりもプロ野球選手がバラエティー番組とかに出ていた時代で、面白かったんですよね。クリスタルキングの名曲”大都会”を今の髙津臣吾監督がアフロのかつらを被って熱唱していたりとか。チームは強いし選手は面白いし、チームカラーが青ということで、少年心をくすぐられて今に至る感じです。
タカノ:選手だったり監督だったりの人柄やキャラクターも入口だったんですね。
熊谷:そうですね。今に至るまでチームがアットホームで面白くて明るくて、見ていて元気をもらえるので非常に魅力的ですね。

タカノ:熊谷さんのご出身は秋田なんですよね。初の神宮球場はいつだったんですか?
熊谷:しっかりとは覚えてないですけど、小学校に入ってすぐくらいだったと思います。夏に東京に家族旅行で来て、3泊4日くらいの旅行が多かったんですけど、夜は毎晩神宮球場に野球を見に行くプランで。
Celeina:ヤクルトファンになったのは、ご両親のアシストもあったんですか?
熊谷:英才教育はなくて。父親も兄も別のチームを応援していたので、親がヤクルトファンに仕向けたわけではなく、自主的にヤクルトを応援し始めたんです。今思えばちょっと不思議なんですけど。
Celeina:じゃあ熊谷さんの発信で家族みんなヤクルトファンになったんですか?
熊谷:そうではなくて、母親は贔屓のチームがない中立な立場だったので僕に付き合ってくれて、兄は巨人ファンなんですけど僕に付き合ってくれて。
タカノ:いい家族ですね。