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犯罪もエンターテインメントとなりうる世界観
同曲の歌詞を一部引こう。
人生で起こることは何だって
ショーでも起こる
観客を笑わせたり
泣かせたりできる
何でもありなんだ
世界はステージさ
ステージは世界なのさ
それがエンターテイメントというやつさ!
“That’s Entertainment”
映画『バンド・ワゴン』が制作された時代において、現実や「人生」、そしてまた「世界」も紛れもない「エンターテインメント!」なのだ、というテーゼは、たしかに旧来の堅苦しい芸術観を突き崩すような痛快なものだったろうし、翻って、プロフェッショナルたちが手掛けたウェルメイドなハリウッドミュージカル映画の美を称揚することにもつながっただろう。しかし、アーサー(ジョーカー)は既に、そうした朴訥な理解が通用した時代・環境からはまったく遠いところに幽閉されているし、また、仮に現代のハリウッド産業が同じテーゼを発するならば、そこにはあからさまな空虚が伴わざるをえないだろう。

なるほど、アーサーや(リーをはじめとした)彼の熱狂的な信望者たちにとって、その恥辱にまみれた人生や世界の全ては、「ザッツ・エンターテインメント!」とでも考えていなければ持ちこたえられない重荷であり、それゆえに、この現実と虚構を区別することなどに意味はないのだ。アーサーはそういう風に考えることで自らをさらなる窮地に追い込み、そう考えることの愉悦に自ら進んで浸っているのだともいえる。
こうした世界観においては、当然ながら、酸鼻を極めた犯罪も一つのエンターテインメントとなりうる(なってしまう)。そこでは、真実もフェイクもすべてが一緒くたにスペクタクル化し、社会的な「統合」という概念やそれを成り立たせてきた有形無形のシステムは、高らかな哄笑とともに唾棄されることとなる。そこでは、コミュニティを成立せしめている公共的かつ社会的なリアリティはすっかり溶かされ、ただそれぞれの「個」による善悪観と、そのインフレーションによる煽動が、リアリティに取って代わることになる。ただただこの世界はエンターテインメントであるというニヒリスティックな確信によって、アーサーとリーは自らの存在と社会を侮辱し、「ジョーカー」という悲しきヴィラン像に酔いしれるほかない位置へと、自らを追い込んでしまったわけだ。