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いま重要性を増す、映画や音楽の「歴史を語り継ぐ力」
ポップソングは、個人的記憶を運ぶメディアとしては当然のこと、社会的な記憶を運び、現代に鮮やかに蘇らせるメディアとして、おそらくそれ以上に効果的な存在は稀といっていいほどに、特別なパワーを持っている。サレス監督は、ある家族の悲劇の物語に自らの記憶と政治史の展開を重ね合わせるにあたって、その力を信じたのだろう。
あまりにも当たり前のことだが、優れた映画作品、そして優れた音楽は、そこに刻まれた記憶を現代に呼び戻す。そして、当時を体験していない人々にとっても、音楽による社会的な記憶の蘇生それ自体が新たな体験となる。だからこそ、過去の歴史の軽視と侮辱、意図的な忘却が世界中で進むいま現在において、記憶を語り継ぐこと、それを自分たちの物語と接続することを得意としてきた芸術全般に期待される役割は、おそらく私達が考えているよりもはるかに大きく、深いはずだ。

サレス監督は、本作のプレスリリースの中で、次のように述べている。
近年、極右の台頭により、軍政期の記憶がいかに脆く、消されやすいものであるかが改めて露わになりました。過去を照らし出し、同じ過ちを繰り返さないための作品が、今こそ必要だと痛感しています。本作では、国家が家族の中にまで介入し、生死を左右し、遺体すら奪うという現実を描いています。2021 年には、かつての拷問者に勲章を授ける大統領が現れるまでになりました。この映画はボルソナロ政権以前に構想されたものですが、結果的に過去だけでなく、現代における新たな権威主義の危険性をも照射する作品となりました。それが、私たちが今いる現実です。
歴史に刻まれた過酷な記憶は脆く、消されやすい。それは残念ながら(この高度コミュニケーション時代においては余計に)簡単には避けがたい趨勢なのだろうし、日本の現状を見渡してみれば、異様な切迫感とともにそうした「忘却」の蔓延を自覚するほかない。
だからこそ、記憶を運ぶ装置をいかに鍛え直していくかが重要となるのだ。その「鍛え直し」には、声高な掛け声以上に、本作のような静かで気品に満ちた作品こそが、より根源的な効果を発揮することもあるだろう。肝要なのは、私達全てが、過去から不断に続く歴史的時間の中に生きていると自覚し直すことだ。何度でもいうが、優れた映画作品や音楽の存在は、そのための最も有効な存在に成り得る。まさに今作がブラジル社会にセンセーションを巻き起こし、歴史修正主義への痛烈なカウンターとなったように、だ。本作『アイム・スティル・ヒア』は、「いま、ここ」で、諦めずに歴史について語り、記憶を継承していこうとする者たちへ、大きな勇気を授けてくれる映画だ。

『アイム・スティル・ヒア』

2025年8月8日(金)ロードショー
監督:ウォルター・サレス
脚本:ムリロ・ハウザー、エイトール・ロレガ
出演:フェルナンダ・トーレス、セルトン・メロ、フェルナンダ・モンテネグロ
©2024 VideoFilmes/RT Features/Globoplay/Conspiração/MACT Productions/ARTE France Cinéma
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