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Fontaines D.C.、Sleaford Mods、Blur……ロックの存在感
全編に流れる音楽も大変に印象的だ。まず注目すべきトピックとしては、電子音楽界きっての鬼才ブリアル(Burial)がオリジナルスコアを担当している点だ。ノイズや環境音を織り交ぜたそのサウンドは、ベイリーの孤独な心象風景を描き出していくにあたって、特に重要な役割を果たしている。
加えて、数々の既存曲も特筆すべき効果を発揮している。映画冒頭、バグがベイリーをスクーターに乗せて街中を疾走する場面に使用されるアイルランド出身のロックバンドFontaines D.C.の“Too Real”からして、その存在感・臨場感は抜群だ。
バグは大の音楽好きで、ことあるごとに爆音でロックバンドの音楽を聴いている。Blurの名曲“The Universal”を結婚式のカラオケのため練習したり、悪友たちとともにSleaford Modsの“Jolly Fucker”を熱唱したり、ヒキガエルに幻覚作用のある体液を分泌させようとColdplayの“Yellow”を聴かせたりとやりたい放題だが、各曲とも、単なる憂さ晴らしのための存在であるのを超えて、映画が描こうとしているテーマとも小さくない重なり合いを描いている。
彼(および彼の友人たちや家族)の生き様は、確かに無軌道極まりなく、表向きは何らの希望も見いだせない生活にがんじがらめになっているようにみえる。地域コミュニティも崩壊し、ろくな仕事もなく、暴力が横行している。昨日までの子供が明日には人の親になり、到底ケアは行き届かない。絶望が再生産されていくさまを、ただ眺めることしかできないのだろうか。
しかし、それでも彼らは、「Don’t You Worry(心配しなくていいよ)」と考えている(考えようとしている)。いかにも無根拠かもしれないが、なぜだか不思議な確信があるようにも見える。彼らはギリギリのところで自分たちを「鳥瞰」し、別の形の希望に火を灯す術を心得ている、ということなのかもしれない。それはかつて、パンクロックやポストパンクを実践した「何者でもない」者たちが、ユーモアと反骨精神をもってろくでもない現実を作り変えてみせたのと同じように。
そう考えるならば、Sleaford Modsの曲に込められた皮肉に満ちた反逆精神や、Fontaines D.C.の攻撃的な激情、Blurのシニカルでいてロマンチックな詩情、Coldplayの(ある種演劇的とすらいえる)過剰な壮大さや、(ハンターがいうような)「オヤジ臭い」The Verveの名曲“Lucky Man”にも、他ならぬ彼ら自身の自己対象化のエネルギーが(結果的に)響き渡っていると捉えた方がよっぽど面白いはずだ。
