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抑制的な音楽使用と、サウンドトラックの効果
その後映画は、ゴールディンの当時の恋人ブライアンによる凄惨な暴力事件の回想を起点に、P.A.I.N.メンバーへの尾行疑惑や、1980年代末のエイズ禍と仲間の死去、ゲイコミュニティに対する差別と薬物中毒患者への偏見、そしてそれらに通底する政治的抑圧の問題、更にはパーデュー・ファーマ社の破産申請の審理(*)の様子など、現在と過去の出来事双方を行き来しながら、にわかにシリアスな方向へと進んでいく。次いで、姉の自死に隠されていた衝撃の事実が語られるまで、その間約60分弱。前半までと打って変わって既存楽曲の使用が一切排されるのだ。
ドキュメンタリー作品において、こうした明示的な音楽の不在による劇的な効果というのはことさらに大きい。狭義の「演出」を排し「現実そのもの」へと観客の意識を向けさせる手法が、本作でも目覚ましい効果をあげており、私達観客は否応なくその緊張の只中に投げ入れられることになる。
*2019年、パーデュー・ファーマ社は破産法の適用を行い、オピオイド訴訟による多額の賠償を回避しようとした。

そして、こうした一連の沈黙を挟んだ上で回帰してくる音楽もまた、同じく劇的な効果を発揮する。姉の死を巡る隠された真実が語られる上述のシーンでは、本編全体のスコアを担当しているサウンドアート集団Soundwalk Collectiveによる音楽が、特に効果的に働いている。サウンドトラック上は“Sisters II”と名付けられているミニマルかつ幻想的な曲に導かれて再度語られる家族の物語は、この映画が、一人の芸術家による勇敢なアクティヴィズムを映し出していると同時に、何よりも、彼女自身のトラウマと、両親よって隠蔽された過ち、秘密の重さ、そして、そこに刻印された偏見(スティグマ)との戦い / 解消こそを主題としていることに気づかせてくれる。同時に、ゴールディンにとってその主題が、かつて自身が陥ったオピオイド中毒と同じように、根源的な恐れと怒りをもってしぶとく回帰する、全身全霊を賭けて立ち向かわなくてはならない傷であることが示唆される。
だからこそ彼女は今、隠匿と秘密、偏見(スティグマ)と戦うのだ。彼女にとって悪とは、社会的な存在でもあり、個人的な存在でもある。この映画は、あまりに直截な意味において、「美と殺戮のすべて」が、彼女の半生に絡み合っていることを明らかにするとともに、私達観客自身へも、自らの生の中でその絡み合いの文様を勇気を持ってなぞってみることを強く促している。
