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グリーンウッドの背景にある、クラシック音楽や現代音楽への敬意と愛
トーンクラスターを用いた音響表現に加えて、パーカッションや打楽器的に扱われたピアノの存在も本作のサウンドトラックの特徴のひとつです。そこにはジョン・ケージやベラ・バルトークからの影響も散見されます。
ジョン・ケージはアメリカの作曲家で、演奏者への音響指示が一切ない“4分33秒”でご存知の方もいるかもしれません。本作において、ケージからの影響がもっともわかりやすいのはM2“The French 75”でしょう。
冒頭のペルフィディアの工作活動からロックジョーとの接触のシーンで使用されています。M3“Baktan Cross”やM8“Ocean Waves”に比較すると非常に音数は少ないのですが、ペルフィディアとロックジョーという関係性の密度で考察すると、それぞれの思惑がある上での、ある種の感情の平行線ともいえる単調な密度で表現されているように思えます。
ケージはプリミティブなパーカッション曲、あるいはプリペアードピアノ(※)というピアノを打楽器に模した楽曲を多数作曲しており、中でも「Construction」というシリーズ、そして“Bacchanale for Prepared Piano”というプリペアードピアノの楽曲を聴くと、本作のサウンドトラックの“The French 75”およびM8“Ocean Waves”などへの影響を感じ取ることができると思います。
※筆者註:弦に金属やゴムなどを載せたり、挟んだりし、音色を打楽器的な響きに変えたピアノのこと
「音楽は時間の構造である」と提言するケージは、音楽形式の中の「時間」というパラメーターを一層浮き彫りにすることによって楽曲を構築しています。
音価(音の長さ)が短い打楽器を用いることで「点」的なサウンドを「空間」に共鳴させ、ある種の空間的密度を表現する——そういった「時間」という概念を司る上での打楽器を用いた作曲手法は、本作サウンドトラックからも感じ取れるように思います。
バルトークはハンガリーの作曲家で、大きく括ると20世紀前半に活動し、民俗音楽研究家としても知られる作家です。
バルトークからの影響をもっとも色濃く感じられるのは、ボブがセンセイ(ベニチオ・デル・トロ)のもとに駆け込んだ先での緊迫する展開で使われるM12“Like Tom Fkn Cruise”。ピアノの連打音、ストリングスの激しいコル・レーニョとピチカート(※)は、バルトークの“弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽”を彷彿とさせます。
このシーンを密度で捉えるとすると、打楽器、ピアノ、弦楽器のレイヤーが入り乱れる様は、状況、それぞれの心理的不安(移民、ボブ、ロックジョーなど)、時間という点において、3つの要素が非常に入り組んだ構造となっていて、密度の緩急が目まぐるしく変化する——まさにひとつの山場でもあるこのシーンを非常に上手く後押ししていると思います。
※筆者註:コル・レーニョは弦楽器の弦を弓の木の部分で叩くように演奏する特殊奏法、ピチカートは弦楽器の弦を弓ではなく指で弾く奏法のこと

ジョニー・グリーンウッドのキャリアにおいて、バルトークはペンデレツキと並んで重要な作家と言っていいでしょう。独特の和声感や無調的なペンタトニック、ダイナミックなポリリズム、コル・レーニョの多用など、音楽的な共通点、もしくは影響を多く感じられます。
バルトークは「鏡像構造(パリンドローム)」や「黄金比」に基づいた音楽構造を多用したことでも知られ、グリーンウッドもそのキャリアにおいて同様に反復と変形、対称的構成を自らの楽曲で用いています。
具体的には、2004年にBBCに「コンポーザー・イン・レジデンス」として招かれて以降、委嘱を受けて作曲した“Smear”(2004年)、“Popcorn Superhet Receiver”(2005年)、および” 48 Responses to Polymorphia”(2011年)などです。
“Smear”ではバルトークの逆行構造が使われ、“Popcorn Superhet Receiver”では弦楽器を音響的に分離して、左右の群れが波のように干渉しあう構造になっています。“48 Responses to Polymorphia”では、バルトークのポリリズムのような、いくつかの弦楽器群が異なる拍周期で進行していきます(『The Master』からの引用もあり)。
点描的なコル・レーニョやピチカートを「点」、弦楽器の持続音や長いグリッサンド、あるいは空間的残響を「線」とした対比構造は、まぎれもなくペンデレツキからの影響だと思いますが、今作においてもその「点と線」、あるいは「緩急」「静寂と爆発」などの対比構造は、登場人物の心情を表現する意味では「音の密度」と同じくらい重要な要素である思います。
そのことを踏まえて本作のサウンドトラックを見ていくと、グリーンウッドはこの対比構造を「父と娘」「革命と現在」「白人と有色人種」「男と女」など、物語の重要な要素と対応させて落とし込んでいるように聴くことができます。