日本を代表するグラフィックデザイナーであり、画家の横尾忠則氏は現在88歳。唐十郎のアングラ演劇のポスターデザインや、『Y字路』シリーズの絵画など、きっと誰もがその作品に触れたことがあるのではないだろうか。
新緑燃える世田谷美術館にて開催中の『横尾忠則 連画の河』は、画家・横尾忠則がここ2年にわたって精力的に筆を振るってきた成果である、およそ64点の新作絵画を一挙に展示するものだ。
乱暴を承知で一言にまとめるならば、それらは「大きく、明るく、面白い」作品たちであり、どれも驚くべきスピード感で仕上げられている。そして何よりのポイントは……それらの絵画作品はすべてつながっている、というところだ。
INDEX
「連歌」のように連想で紡ぐ新作展
展覧会タイトルにある「連画」とは横尾の造語で、和歌の一種「連歌」にちなんでいる。「連歌」は、その場に集まった人たちで上の句・下の句を次々に繋げて、巨大な詩のうねりを生み出す一種のレクリエーションである。連想ゲームのように、すべての作品は前の作品を受けて生み出されてゆく。順当に、時に逆説的に、そして時に信じられないほどの飛躍を交えながら横尾の創作は続いてゆくのだ。
けれど、複数人での知的な遊びとして行われる「連歌」と違って、横尾忠則の「連画」は完全にひとりの人間の創造行為である。であるならばそれは、要するにシリーズもの、モネの『積みわら』のような「連作」ということなのでは? そんな疑問に、本展図録の横尾論を執筆した美術史家 / 詩人の建畠晢はこう答える。
「横尾忠則という人物の中には“別の自分” が多く息づいている。まるで別人のような独立した視点で、多様な記憶の断片を自由に呼び出しているのだ」
――『横尾忠則 連画の河』関連企画講演会『横尾忠則、連画の魅力』より
それではその言葉の意味を確かめるべく、画家・横尾忠則の創造の軌跡を辿っていこう。

冒頭に展示されているのは、『記憶の鎮魂歌』(1994年)だ。これは、1970年に画家が地元の同級生たちと集まった際の集合写真(撮影:篠山紀信)をもとに、約25年後に絵画化した大作である。
背景となっているのは画家の故郷の川べりで、後方には鉄橋が架かっている。いい笑顔で写る男女の合間に浮遊するモノクロの小さな人物像は、集合写真撮影の日に休んだ生徒が合成されたように見えるがそうではなく、すでに鬼籍に入った同級生たちだ。

そしてさらに30年の時を経て、この作品をインスピレーションの起点として横尾の「連画」は始まる。「前の絵の中の何かしらのモチーフを次の絵に継承する」という緩やかなルールのもと、画家自身もどこへ行き着くのか分からないままに大きな河の流れに身を任せたのだという。会場内には横尾のこんな言葉が掲げられていた。
『連画の河』はぼくが描いている絵なのではなく、絵によって描かされた自分であるという気もします。
移り変わる時間そのものが、今回の連作の主題だったのかもしれません。
ぼくにとっては、シナリオのない推理小説のようなものでした。
――『横尾忠則 連画の河』より
放出するエネルギーに圧倒される

展示室に入ると、とにかく作品の大きさと明るさ、放出するエネルギーの多さに圧倒される。身体の衰えと向き合いながら、画家はこれらの作品をざっくり月に2作品以上のペースで生み出しているのである。ほとんどのキャンバスの隅には日付が記されているので、時間の流れを感じながら観ていくのも面白い。
作品によって描き方のタッチが変わったり、集合する人物の雰囲気が変わったりしているものの、この辺りではまだ『記憶の鎮魂歌』の面影がはっきりと感じられる。そして舞台は変わらず、鉄橋を背にした川べりだ。

連画が進むと、そのうち画中にキャンバスと画家(横尾)が登場し、さらにそれをもう一段階メタにして「“キャンバスに向かう画家の絵”を眺める人たち」の絵になったりする。まるでドニの『セザンヌ礼賛』のようである。しかしそれでも舞台は依然として鉄橋の見える川辺。さて、ここで画面左上にいるイカダに乗った男に注目してほしい。
川下りにマラソン……飛躍した連想の展開

なんとここから、集合写真メンバーズはイカダに乗って川下りの旅に出てしまうのだ。実に爽快で、鑑賞者もニヤリと笑ってしまう飛躍した展開である。
左手の『船頭と画家』の片隅には「Styx(スティックス、ギリシア神話における三途の川)」と記されている。左右のよく似た構図の2作品を比べてみると、左の作品でイカダを漕いでいる船頭の竿+背景の鉄橋が、右の作品ではすっかり赤い旗に変容しているのが面白い。モチーフの意味からの連想だけでなく、こうした偶発的なフォルムの組み合わせもまた「接続詞」になり得るのである。

賑やかで楽しげな作品が多いこのエリアの中でも、特に視覚的喜びに満ちている『連画の河を渡る5』。川の流れはキュビスムの表現手法である「切り子面」を思わせ、そこには横尾作品の代表的なモチーフである「泳ぐ女」がいる。ちなみに、元々超売れっ子グラフィックデザイナーとして活躍していた横尾忠則が画家へと転身したきっかけは、MoMAでのピカソ回顧展(1980年)に衝撃を受けたからだと言われている。

川を下っていたはずの彼らは、気がつくとマラソンを始めてしまった。しかもエッホエッホと横並びになって、女を担いでいる。川の流れはどうやら小さな粒となって画面上方に漂い(汗?)、鉄橋は自転車に姿を変えているようだ。車輪の中心にいる女は、右手の作品では攫われているように見えるのに、左手の作品では自らを運ばせているように見える。この2点のように、ひとつのシチュエーションを昼と夜のイメージで描き分けているパターンは他の作品にも観られる。対比させることで、不穏なムードや緊張が一層高められているようだ。
カオスの中で色彩が踊り出す

彼らの冒険は止まるところを知らない。なぜか次の瞬間には青空のもとで草刈り鎌を構えてカメラ(?)に応えている。筆者はここで一番笑った。タイトルはそのまんま『農夫になる』である。もうどこがどう繋がるのかと難しく考えるのは諦め、流れに身を任せる踏ん切りがついた。

農場を経て、次の展示室では舞台がメキシコに。よく観るとマラソン時代の道路標識が残っていたりするが、ソンブレロをかぶり、楽器を鳴らしながらピクニックする彼らはどう考えてもメキシカンだ。色彩が踊り出すような、陽気な大作が続く。

右は、全作品中でも屈指のカオス具合を誇る『幕末の爆発』。イカダの船頭は便器を漕ぎ、カウボーイは投げ縄で太陽を捕まえ、裸婦はマネの『草上の昼食』のように膝を立て、そして左端の男たちは脈絡なく維新志士になっている。そりゃあ火山も噴火したくなるだろう。
左の『赤い恋』ではおそらく『草上の昼食』からの連想で画面は緑色に染まり、維新志士は19世紀のフランス紳士風に変身。帽子をかぶった裸婦の真っ赤なフォルムは、なんと漢字の「恋」を表しているのだそうだ。
腰巻きの奥に広がる闇

それから色々とあり、連画の流れはメキシコを離れ、裸の女たちが憩う楽園・タヒチへ。右手の『連画の河、タヒチに』が象徴的な作品で、画面中央の便器に上から水が流れ込むところが描かれている。

左の作品は明らかにゴーギャンの作品から人物を借用しているが、光のシャワーの中で白く浮かび上がるいびつな形は、裸の人物が身につけた / つけさせられた「腰巻き」である。さらに背を向けた裸婦のお尻の部分には、不気味な顔(大きく口を開けた顔の右上部分)が描かれているのが分かるだろうか。その部分を拡大して作品としたのが、隣にある一作である。ギョッとするようなこの顔は、イタリアのボマルツォにある怪物公園『地獄の口』だという(図録には、参考として口に収まる横尾の写真が並置されている。親切!)。作品の前に立つと、ぽっかり口を開けた闇に吸い込まれるような感覚に襲われて、純粋に怖いと感じる絵だ。
さらに腰巻きへの執着は続き、隣の『次への予兆』でも人物の腰巻きだけが浮かび上がっている。腰巻きの奥には地獄が口を広げている、そんなイメージがじわじわと頭を支配していく。
リンクする「シンゾウの危機」

展示作品の中には、安倍晋三元総理の銃撃事件を描いた作品群もある。解説によると、当時、画家自身の心臓にも生命の危機が迫っていたらしい。異色なモチーフだが、社会的なメッセージが込められていると解釈するよりも、ふたつの「シンゾウの危機」というリンクにインスピレーションを受けて制作された作品群と捉えるべきだろう。左手の『盗まれたシンゾー』では報道写真の構図をほぼそのまま拝借しているが、右手の『略奪された心臓』では、三角形構図の頂点に傍観者の姿が描き加えられているのが示唆的である。

ところで、画家のイマジネーションを詳しく辿るなら、3冊展示されているスケッチブックは必見だ。作品の下絵やパーツのスケッチ、インスピレーションの元となった切り抜きなどがびっしりと描き込まれており、画家が一体何を描こうとしているのか、よりはっきりと知ることができる。
展示終盤を貫く「壺」のモチーフ

ここで、連画の流れに大きなターニングポイントが訪れる。「壺」のモチーフの登場だ。『大壺登場』では、久しぶりに原点である『記憶の鎮魂歌』に立ち返ったように、集合写真を撮る人たち(女性はタヒチ風の裸婦になっているが)や、鉄橋が明確に描かれている。けれど右側の川が描かれていた場所には突如として巨大な壺が現れ、表面か内側か定かではないが、そこには後ろ向きの裸婦が描かれている。

これ以降の連画では壺が中心的な役割を担うようになり、展示室は壺だらけだ。壺は水の容れ物であり、女性の子宮のイメージにも繋がる。中には裂け目を持った壺や、ヒエロニムス・ボス『快楽の園』風に(あるいは『犬神家の一族』的に)裸の脚が突き出した壺もあり、そこには濃厚に性的含意が漂っている。

最後の展示室では、緩やかなカーブを描いた壁面に直近の作品が並ぶ。連画のシリーズも締めくくりに差し掛かり、より深い精神性、描き手の心の奥底を描き出しているように感じられる。

『The End of Life Is Moral』は、正反対の印象を与える同構図の2枚を連ねたものである。タイトルとなった言葉は画家のお気に入りの言葉だそうで、画面にもはっきりと記されている。「人生の最後は道徳的である」……ということだろうか。生の舞台に上がったものが必ずや退場していく様は、定めごと通りであり、確かに道徳的と言えるかもしれない。先ほどのスケッチブックを観る限り、明るい右側の壺に入っているのが女性で、左側のダークな壺から顔を出しているのが男性のようだ。鮮やかな対比をなす二つの壺は、命の始まり(子宮)としての存在と、命の終わり(埋葬用の甕)としての存在、その両方を思わせる。
連想の「橋」は、自画像の頭の中に帰着する
さて、連画の果てに、集合写真メンバーズが川辺に帰ってきた。女性たちの姿の代わりに、足を突き出した『ボッスの壺』がセンターを占めている。画面上部には久しぶりに鉄橋がカムバックし、そこに「THIS PAINTING LOOKS UNFINISHED BUT IT’IS ACTUALLY FINISHED(この絵は未完のように見えるけれど完成している)」の文字が読める。始まりの『記憶の鎮魂歌』にあった亡き同級生の小さな肖像は、黒い点となって人々の間を浮遊し、それはもはや機関車の吐き出す煤と区別がつかない。

本作は『記憶の鎮魂歌』と同じ1970年の集合写真ではなく、2024年になって再撮影された写真を元に描かれたという。50年以上が経ち同級生の数もだいぶ減ってしまったため、人数合わせで関係の無い人まで呼び入れて撮られたものなのだそうだ。想像するとなんだか可笑しいが、哀しい。それでも、この構図の「集合写真」で連画の環を閉じようとするなら、人数合わせは必要だったに違いないと思う。昼も夜もない虹色の光の中で、「僕らはあの時のように集合写真を撮った」ということがきっと大事なのだ。人物は一様に墨色の服を着て、煤や亡き友人の記憶をうっすらと全身に纏っているかのようである。

展覧会を締めくくるのは、画家の自画像だ。ここで注目すべきは、これまで形を変えながら画面に登場し続け、文字通り作品と作品の間の「橋」となってきた鉄橋のモチーフが、横尾自身の頭へとつながっていく、という点である。記憶の連想ゲームは巡り巡って画家の頭の中に帰着し、いつかまた発車するのだろう。
子どもからアートファンまで楽しめる、豪胆で豊かな展覧会

帰り際に、ミュージアムショップにて人気を博していた横尾忠則ガチャ(400円)に挑戦。めちゃめちゃハイセンスなエコバッグが当たって思わずにっこりである。さすが画家でありグラフィックデザインの第一人者だけあって、横尾作品はグッズとの相性が非常にいい。『連画の河』モチーフをあしらったオリジナルグッズなどもあるので、ショップを覗いてみれば素敵な出会いがあるかもしれない。また、本展の図録(4,950円)はミュージアムショップに限り特別価格4,500円にて購入できる。その名も「ヨコオ(450)割引」だ。さりげないお茶目さに、またにっこりである。
鑑賞を終えて心に強く残ったのは、「絵画っていいよね……」という素朴な感動だった。人が頭の中を絵の具で自由気ままに表現するというのは、なんて豪胆で、豊かなことだろう。
横尾忠則が生み出したこれらの絵画は、確かに「連作」ではなく「連画」と呼ぶべきものだった。一般的な意味の連作というにはあまりにも自由だし、探求というよりも愉しみに満ちているからだ。だからこそ子どもでも楽しめるし、美術史の知識のあるアートファンなら、さらにもう一段階深いところで楽しめることは間違いない。ぜひこの「河の流れ」を全身で感じて漂ってみてほしい。
『横尾忠則 連画の河』
会期:2025年4月26日(土)~6月22日(日)
開館時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)
休館日:毎週月曜日
会場:世田谷美術館 1階展示室
主催:世田谷美術館(公益財団法人せたがや文化財団)、読売新聞社
協賛:貝印株式会社
後援:世田谷区、世田谷区教育委員会
●ご来館に際してのお願いhttps://www.setagayaartmuseum.or.jp/news/entry.php?id=nw00684
●ハローダイヤルのご案内:050-5541-8600
料金:一般 1400(1200)円 / 65歳以上 1200(1000)円 / 大高生 800(600)円 / 中小生 500(300)円 / 未就学児は無料
※()内は20名以上の団体料金。事前に電話でお問い合わせください。
※障害者の方は500円。ただし小中高大専門学校生の障害者の方は無料。介助者(当該障害者1名につき1名)は無料
※高校生、大学生、専門学校生、65歳以上の方、各種手帳をお持ちの方は、証明できるものをご提示ください。
本展では、オンラインチケットを2025年4月15日(火)正午より販売します(クレジット決済、またはd払い)。
オンラインでのご購入が難しい方、アーツカード等の各種割引をご利用の方は、美術館窓口で「当日券」をご購入ください。会場内混雑の際には、お待ちいただくことがあります。あらかじめご了承ください。