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実写『白雪姫』レビュー 古のジェンダー観を象徴する物語は、現代の映画となり得たか

2025.3.28

#MOVIE

現在劇場公開中の実写映画『白雪姫』。SNSでは、過去のディズニーの実写作品群にも増して、アニメーション版からの「改変」に対する批判的な言説が多く飛び交っている。

プリンセス像の更新を目指した本作は、果たして酷評に値するものなのだろうか。表象文化論、ジェンダーセクシュアリティを専門とし、「ディズニー好き」を公言する研究者・関根麻里恵に、本作とディズニーの「リイマジニング」について論じてもらった。

※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

クラシックプリンセスに憧れることは悪いこと?

「今の時代、ディズニーの白雪姫に憧れることはよくないことなのでしょうか?」

これは、筆者が担当する授業で学生から度々質問されるコメントの一部である。過去のディズニープリンセスストーリー(以下、プリンセスストーリー)において、プリンセスたちの表象がジェンダーステレオタイプを強化するような描かれ方がなされてきた、ということをテーマにした授業でのことだ。本題に入る前に、その内容をかいつまんで紹介しておく。

美術史学者でジェンダー文化研究も行っていた若桑みどりは、著書『お姫様とジェンダー』(筑摩書房、2003年)のなかでプリンセスストーリーの基本原則というものを提示している。そこでは、クラシック期(Classic era)に分類される『白雪姫』(1937年)、『シンデレラ』(1950年)、『眠れる森の美女』(1959年)は、「女の子は美しく従順であれば、地位と金のある男性に愛されて結婚し、幸福になれる」(若桑 2003: 70)という、家父長制的な価値観を前提とした原則に基づいた展開になっている。

若桑が提示したプリンセスの基本原則を援用し、2000年代までのプリンセスストーリーの基本原則を分類してみよう。ルネサンス期(Renaissance era)は「女の子は自分に素直でありのままにいれば、地位と金のある男性と愛し合い結婚し、幸福になれる」(※1)、新時代(New age era)は「女の子は自分に素直でありのままにいれば、(冒険をするなかで関係を深めて)自分にとって素敵な男性と愛し合い結婚し、幸福になれる」(※2)と、前半部分の変化はあっても、後半の「結婚し、幸福になれる」という部分は変化してこなかった。しかし、2010年代以降のプリンセスストーリー(※3)になると、もはや基本原則から外れるようなストーリーへと変化してきている。さしあたり、時代の流れや価値観の変化とともに、プリンセスの造形や内面性も多様になってきたということができるだろう。

2000年から「ディズニープリンセス」がフランチャイズ化され、2025年現在は13人がディズニープリンセスとして名を連ねている(※4)。現在の大学生は幼少期に、すでに「ディズニープリンセス」としてパッケージ化されたグッズが身近にあり、作品やグッズを通して思い入れのあるプリンセスから影響を受けてきたことは想像に難くない(もちろん、フランチャイズ化される以前からディズニープリンセスのファンは存在していただろうが)。

© 2025 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

※1:ルネサンス期(Renaissance era)と呼ばれる『リトル・マーメイド』(1989年)、『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)、『ポカホンタス』(1995年)、『ムーラン』(1998年)が対象。ただし、『アラジン』は主役が男性であるため、プリンセスの基本原則の条件とはやや異なることに留意したい。

※2:新時代(New age era)と呼ばれる『プリンセスと魔法のキス』(2009年)、『塔の上のラプンツェル』(2010年)が対象。

※3:引き続き新時代(New age era)に区分される『メリダとおそろしの森』(2012年)、『アナと雪の女王』(2013年)、『モアナと伝説の海』(2016年)、『ラーヤと龍の王国』(2021年)が対象。

※4:『アナと雪の女王』のアナとエルサは、プリンセスではなくクイーンであるため除外されている。

「実写化」あるいは「実写リメイク」表記がもたらすミスリード

2014年から、過去のプリンセスストーリーのいわゆる実写リメイク版、英語だと「Live-Action Reimagining」が制作・公開されるようになった。リイマジニング(reimagining)とは、「少なくとも一つの大きな変更を伴っておこなうリメイク(remakes with at least one big change)」のことで、作品を他の表現メディアの形に置き換えるアダプテーションの一種であるが、同じ媒体(映画から映画)で行うことが特徴である(※5)。これまでにリイマジニングされたプリンセスストーリーとして、『眠れる森の美女』をヴィランであるマレフィセント視点から捉え直した『マレフィセント』(2014年)を皮切りに、『シンデレラ』(2015年)、『美女と野獣』(2017年)、『アラジン』(2019年)、『ムーラン』(2020年)、『リトル・マーメイド』(2023年)が挙げられる。

※5:Koski, Genevieve. “Reboots, remakes, and reimaginings: a guide to confusing Hollywood terminology.” Vox 17 September 2015.[最終閲覧日:2025年3月24日]

そして、このたび満を持してディズニー初の長編映画かつ世界初のカラー長編アニメーションの『白雪姫』がリイマジニングされたわけだが、不幸にも本作はさまざまな「ノイズ」を抱えた状態で封切られた。そのため、公開直後のSNSには「ノイズ」ありきで鑑賞した人々による「酷評」が散見された。「ノイズ」について本稿では詳らかにはしないが、「酷評」の多くは『リトル・マーメイド』(2023年)のときと同様、キャスティングに対する批判やストーリーそのものが「原作に忠実ではない」というものであった。

日本では「実写化」、最近では「実写リメイク」という表現が用いられることが多いが、「ある特定の映画をほぼそっくりそのまま作り直す(Closely re-create one particular film)」ことを指すリメイク(remake)(※6)という語からは、アニメーション版のプリンセスストーリーどおりのものを期待してしまうことは否定できない。本作がリイマジニングであることを念頭におけばその誤解も多少は緩和されるだろうが、リイマジニングが意味するものはおろか、言葉自体もなかなか浸透していないのが現状である。

※6:Koski, Genevieve. “Reboots, remakes, and reimaginings: a guide to confusing Hollywood terminology.” Vox 17 September 2015.[最終閲覧日:2025年3月24日]

しかし、言わずもがな、これまでのディズニー作品の多くは元となる童話や民話——これ自体にもさまざまなバージョンがあるわけだが——を大幅に改作している。すなわち、多くの人々が「原作」と呼んでいるものは、ウォルト・ディズニーがその時代の子供たちに見合った、ないしはウォルトが理想とする価値観を反映させた内容に作り変えたものだ。だが、多くの人々がディズニー作品を「原作」だと錯覚してしまうほどの影響力があることもまた事実である。

とはいえ、『白雪姫』でいえば、88年前の価値観——「女の子は美しく従順であれば、地位と金のある男性に愛されて結婚し、幸福になれる」というプリンセスストーリーの基本原則——を2025年の作品としてそのまま踏襲することには無理がある。そこで、これまでリイマジニングしてきたプリンセスストーリー同様、長らく愛されてきたプリンセスおよびプリンセスストーリーに新たな価値観を反映させ、バリエーションを増やすことで、これからの子供たちに向けて長く愛されるものを残す決意を持って作られたのが本作だ(※7)。

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※7:監督のマーク・ウェブは、公式パンフレットに掲載されているインタビューのなかで、本作を当時幼かった彼の娘のために作った(「彼女が楽しみ、共感できるような作品を世に送り出したかった」)と答えている。

公平であることを願う白雪姫と、あまりにも有名なあの曲の不採用

ただ、ディズニー・アニメーション作品の金字塔ともいえる『白雪姫』をリイマジニングすることの重圧は相当のものだったであろう(※8)。そのため、制作上の苦労の痕跡が画面上からも脚本からも滲み出てしまっていることは否めない。だからといって「酷評」に値するかというとまったくそうではなく、極めて真摯にアニメーション版の『白雪姫』のエッセンスを再解釈し、リイマジニングを試みたことが読み取れる。特にそれを感じたのが、アニメーション版において詳らかにされていなかった——少なくとも筆者が幼少期から物足りないと思っていた——白雪姫のアイデンティティを丁寧に描いていた部分である。

※8:本作は2024年公開の予定であったが、2023年10月に公開延期が発表された。

本作は、アニメーション版の大筋——継母に命を狙われた白雪姫が森に迷い込み、7人のこびとと出会い、老婆に姿を変えた継母から毒リンゴを渡され命を落とすが王子様のキスで生き返る——の前後に、白雪姫自身および彼女が住む王国のバックグラウンドと現状、そして、毒リンゴの呪いから生き返った白雪姫が、7人のこびと、彼女のパートナーとなるジョナサンが率いる盗賊団、そして国民たちの力を借りて継母から王国を取り戻す、という話が新たに加わっている。本稿ではこの新規パートに注目してみたい。

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大雪で足止めされた馬車の中で産まれた白雪姫は、「公平」で「分け合うこと」を信条とする国王の娘であり、ゆくゆくは国を治める統治者になることが約束されている。しかし病で亡くなった母のあとにやってきた美しい魔女(継母=女王)の策略で国王と離れ離れになり、白雪姫は城に幽閉され召使のように働かされ、王国も「公平」で「分け合うこと」とはかけ離れた、富の独占と権力によって支配する圧政状態に。希望がない現状に途方に暮れながらも、父からもらった「fearless(恐れ知らず)、fair(公平)、brave(勇敢)、true(真実)」と刻まれたペンダントの存在が、辛うじて彼女のアイデンティティを繋ぎ止めていた。しかし、貧しさのあまり盗賊となった青年・ジョナサンから——彼女が白雪姫であることを知らないまま——苦言を呈され、そのアイデンティティすらも揺らぐ。

彼女は見失う。両親が与えてくれた名前に託された強さが今の自分にあるのかを。彼女は葛藤する。そのためには自分が声をあげ、行動することが大事であると頭ではわかっていながらも、その一歩が踏み出せないことを。彼女は願う。再びこの王国が平等で希望に満ちた状態に戻ることを。そんな彼女の心の叫びが、今回新しく書き下ろされた楽曲“夢に見る~Waiting On A Wish~(Waiting On A Wish)”で表現されている。

https://www.youtube.com/watch?v=Nf4YEx1qFQ0

初期のアニメーション作品から現在まで、ディズニー作品に継承されている演出の一つとして、主人公の願いや現状への不満などの心情を表現するための「I Wish / I Want Song」というものがある。アニメーション版の『白雪姫』では、“私の願い(I’m Wishing)”と“いつか王子様が(Someday My Prince Will Come)”がそれに該当する。しかし、本作では大胆にもあまりにも有名なこの2曲を使用せず、“夢に見る~Waiting On A Wish~”が「I Wish / I Want Song」として使用されている。賛否はあるだろうが、白雪姫の「願い」が「自分のことを愛してくれる王子様が迎えにきてくれることを待つわ」という個人的で受動的なものではない以上、この変更は至極真っ当な判断だったと思われる。その一方で、アニメーション版で“私の願い”が歌われるシーンに登場していた井戸やこだまといった要素は“夢に見る~Waiting On A Wish~”に登場し、“いつか王子様が”の旋律は鼻歌でそれとなく登場する。まったくオミットするわけではなく、要素は残しつつもあくまでも本作における白雪姫の「願い」にフォーカスしていることには留意したい。

「無血開城」と「アイデンティティの取り戻し」

そして後半、毒リンゴの呪いから生き返った白雪姫は、父がすでに生きていないことを知り、父にどうにかしてもらうのではなく、自分が行動を起こさなければ王国がダメになってしまうと決意を新たにする。継母のいる城へと向かい、希望を失った国民たちの前で王国を取り戻すことを宣言する。継母は、それならば自分を殺せと剣を差し出すが、白雪姫はそれを拒否する。すると、継母は自分の家来の兵士に白雪姫を殺させようとする。よくある展開として、そこで抵抗して何かしらの犠牲が出ることが予想されるが、本作はその予想をいい意味で裏切る。白雪姫は、その兵士や自分を羽交い締めしている兵士の名前を呼び、「私はあなたたちのことを覚えている」と諭す。名前を奪われ、ただの兵士としてしかみなされていなかった彼らの名前(=アイデンティティ)を思い出させ、犠牲者を出さずに戦いに勝利する。継母は自滅して鏡の中に取り込まれ、白雪姫は見事自分の国を取り戻す。彼女の「願い」はこうして成就するのだ。

このように、本作は「アイデンティティの取り戻し」というものがテーマになっていると考えられる。その意味で、新規パートは非常に今日的な問題を扱っているといえよう。ただ、それを優先させるあまり物語の中盤で展開される7人のこびととの関わりや、盗賊たちの活躍、そしてジョナサンとの関係の描写が手薄になってしまっているのが惜しく感じる。また、継母がたびたび口にする「朽ちてしまう花より永遠に輝くダイヤの方が良い」という台詞が、あまり効果的に使用されていないことも気になる——7人のこびとの宝石採掘がこれに絡んでくるかと思いきや、そうでなく終わる。とはいえ、この中盤のエピソードがなければ白雪姫の成長もないことになってしまうため、まったくもって機能していないということではない。彼女の純真さや公平さというものが圧制下においては「世間知らず」とみなされる一方、それでもその姿勢を忘れずにいることでひとときでも人を穏やかにさせる力もあることを、7人のこびとやジョナサンたちと過ごすことで学んでいくからだ。

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なお本作は当初、ディズニープリンセス同様、女の子たちに愛され影響を与えながらも目の上のたんこぶとしてみなされてきたバービー人形を主人公にした映画『バービー』(2023年)の監督・脚本を手がけたグレタ・ガーウィグが、脚本を手がけたことがアナウンスされていた。しかし、公開された映画でのクレジットはエリン・クレシダ・ウィルソンの単独脚本となっている。現時点で、なぜガーウィグを含むほかの脚本家のクレジットがないかについて言及している報道を確認することができていないが、これまでのガーウィグ作品の特徴を踏まえると、おそらく新規パートの脚本をガーウィグは手掛けていたのではないかと推測できる。そう考えると、なおのことクレジットにないことが悔やまれる。

クラシックプリンセスに憧れることは悪いことではない。でも……

最後に、冒頭に紹介したコメントに立ち戻ろう。筆者はこのような質問に対し、毎回同じ返答をしている。

もし、あなたがクラシックプリンセスが好きで、かつ憧れを抱いていたとして、そのことが否定されたように感じたなら申し訳なく思う。けれど、実存的な問題である「好き嫌い」と構造的な問題である「社会的正しさ・望ましさ」を混同してはいけない(※)。近年では「ポリコレ(ポリティカルコレクトネス)が過ぎる」と言われることもあるが、ポリティカルコレクトネスは公共の場で差別を表出しないことであって、個人の内面や思想を統制することではない。ときとして自分が「好き」なものを批判的に捉え直す必要が生じるが、それによって元の作品が抹消されるわけでも、あなたの「好き」が否定されるものでもない。リイマジニング作品は、あなたが元の作品を観て感じた高揚感や「こうなりたい」という憧れを持った時のことと同じように、これからさまざまな価値観を持つことができる子供たちにとって、そうした感情を味わうためのバリエーションを増やしているだけである、と。

そうした可能性を秘めた本作を否定することは、誰にもできない。ぜひ「ノイズ」に惑わされずに観てほしい。

※この一文は、2024年6月8日に本屋B&Bで開催されたトークイベント「稲垣健志×竹田恵子×山本浩貴×清水知子「アートをゆさぶる:アート×カルチュラル・スタディーズ」『ゆさぶるカルチュラル・スタディーズ』(北樹出版)刊行記念」において、竹田恵子氏がトーク内で言及していた内容から着想を得ている。

参考文献

・清水晶子、ハン・トンヒョン、飯野由里子『ポリティカル・コレクトネスからどこへ——「正しさ」をなぜ問題にするのか?』有斐閣、2022年

・若桑みどり『お姫様とジェンダー——アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』筑摩書房、2003年

『白雪姫』

全国公開中
監督:マーク・ウェブ 
音楽:パセク&ポール
出演:レイチェル・ゼグラー、ガル・ガドット
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
© 2025 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
https://www.disney.co.jp/movie/snowwhite-movie

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