現在劇場公開中の実写映画『白雪姫』。SNSでは、過去のディズニーの実写作品群にも増して、アニメーション版からの「改変」に対する批判的な言説が多く飛び交っている。
プリンセス像の更新を目指した本作は、果たして酷評に値するものなのだろうか。表象文化論、ジェンダーセクシュアリティを専門とし、「ディズニー好き」を公言する研究者・関根麻里恵に、本作とディズニーの「リイマジニング」について論じてもらった。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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クラシックプリンセスに憧れることは悪いこと?
「今の時代、ディズニーの白雪姫に憧れることはよくないことなのでしょうか?」
これは、筆者が担当する授業で学生から度々質問されるコメントの一部である。過去のディズニープリンセスストーリー(以下、プリンセスストーリー)において、プリンセスたちの表象がジェンダーステレオタイプを強化するような描かれ方がなされてきた、ということをテーマにした授業でのことだ。本題に入る前に、その内容をかいつまんで紹介しておく。
美術史学者でジェンダー文化研究も行っていた若桑みどりは、著書『お姫様とジェンダー』(筑摩書房、2003年)のなかでプリンセスストーリーの基本原則というものを提示している。そこでは、クラシック期(Classic era)に分類される『白雪姫』(1937年)、『シンデレラ』(1950年)、『眠れる森の美女』(1959年)は、「女の子は美しく従順であれば、地位と金のある男性に愛されて結婚し、幸福になれる」(若桑 2003: 70)という、家父長制的な価値観を前提とした原則に基づいた展開になっている。
若桑が提示したプリンセスの基本原則を援用し、2000年代までのプリンセスストーリーの基本原則を分類してみよう。ルネサンス期(Renaissance era)は「女の子は自分に素直でありのままにいれば、地位と金のある男性と愛し合い結婚し、幸福になれる」(※1)、新時代(New age era)は「女の子は自分に素直でありのままにいれば、(冒険をするなかで関係を深めて)自分にとって素敵な男性と愛し合い結婚し、幸福になれる」(※2)と、前半部分の変化はあっても、後半の「結婚し、幸福になれる」という部分は変化してこなかった。しかし、2010年代以降のプリンセスストーリー(※3)になると、もはや基本原則から外れるようなストーリーへと変化してきている。さしあたり、時代の流れや価値観の変化とともに、プリンセスの造形や内面性も多様になってきたということができるだろう。
2000年から「ディズニープリンセス」がフランチャイズ化され、2025年現在は13人がディズニープリンセスとして名を連ねている(※4)。現在の大学生は幼少期に、すでに「ディズニープリンセス」としてパッケージ化されたグッズが身近にあり、作品やグッズを通して思い入れのあるプリンセスから影響を受けてきたことは想像に難くない(もちろん、フランチャイズ化される以前からディズニープリンセスのファンは存在していただろうが)。

※1:ルネサンス期(Renaissance era)と呼ばれる『リトル・マーメイド』(1989年)、『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)、『ポカホンタス』(1995年)、『ムーラン』(1998年)が対象。ただし、『アラジン』は主役が男性であるため、プリンセスの基本原則の条件とはやや異なることに留意したい。
※2:新時代(New age era)と呼ばれる『プリンセスと魔法のキス』(2009年)、『塔の上のラプンツェル』(2010年)が対象。
※3:引き続き新時代(New age era)に区分される『メリダとおそろしの森』(2012年)、『アナと雪の女王』(2013年)、『モアナと伝説の海』(2016年)、『ラーヤと龍の王国』(2021年)が対象。
※4:『アナと雪の女王』のアナとエルサは、プリンセスではなくクイーンであるため除外されている。