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「サイケデリック」観、クラウトロックへの関心という共通点
―そのあたりの音楽に本格的に接近するようになったのは、さっきも話に出た『homely』頃からですか?
出戸:そうですね。それまでは4〜5分くらいの曲が多かったんですけど、石原さんにいきなり「倍の長さで演奏して」とか言われて(笑)。ちゃんと間が持つのかな……と思いながらやっていたんですけど、何度もやり続けてプレイバックを聴いているうちに面白さがわかってきて。
小山田:やっぱすごいね、石原さん。
―小山田さんはそのあたりのドイツのロックはいつ頃から聴いているんですか?
小山田:夢中になって聴いたのは20代後半の頃かなあ。でも、それ以前から断片的に聴いてはいて。CAN関連だと、スネークマンショーの『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』(1981年)に入っていたホルガー・シューカイの“Persian Love”が最初だったと思います。
当時は、変なラジオの音が入っているなあってギャグの一環として聴いていたんだけど、大人になってからCANを聴いて、「ああ、あれってCANの人だったんだ」と。
―思わぬところで少年の頃の記憶が蘇ったという。
小山田:そうそう。でも、ハマった順番ではNEU!のほうが先でした。『FANTASMA』のアメリカツアーで、高速バスで移動しながらイヤホンで聴いていたんですけど、窓から見える風景とすごく合うんですよ。同じような風景が延々続いて徐々に変化していく感じが、NEU!の音と完全にシンクロしたんです。
出戸:わかります、風景と音の重なり合いで妙にフィットすることってありますよね。ドイツの音楽に限らず、テリー・ライリーとか、ああいうミニマルな音楽が、コードやメロディー、構成、歌詞を中心にした音楽観とは違うもっと空間的な部分に着目するきっかけを与えてくれたところもありました。
小山田:自分が『POINT』に向かう中でも、やっぱりそういう感覚の変化はあったね。
出戸:実際、僕が初めて『POINT』を聴いたときにも、普段の音楽とは違った聴き方をしているなという感覚がありました。さっきも言いましたけど、これこそがサイケデリックっていうことかも……と。
―「サイケデリック」も、両者の音楽を語る際の重要なキーワードだと思います。
小山田:自分の場合、特に『FANTASMA』の時期は自覚的にサイケデリックなものをやろうとしていたところがあって。1960年代後半のThe Beach Boysとか、The Millenniumとか、Os Mutantesあたりにすごく影響されました。
―いわゆる「サイケ」の中でも、より構築度が高かったり、特殊な響きを持つのに惹かれたということですかね。
小山田:まさにそうです。
―出戸さんは?
出戸:僕は元々父親やまわりの大人たちがヒッピーカルチャーに若い頃から影響を受けてきた人たちだったので、ジミ・ヘンドリックスとかCreamとか、その時代の「サイケ」とされる代表的な音楽を子どもの頃から耳にしてはいて。
でも身近だった分、既に固定されたスタイルとして存在している印象が強くて、むしろ当時は親父からの逆影響でヒッピー的な音楽は避けてました。でも『FANTASMA』や『POINT』から感じたサイケデリアは、そういう世界とは違うものだったんですよね。一般的に言われる意味での「サイケ」とか「ヒッピー」的なものへのカウンターとして響いてきた。