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リリー=ローズ・デップによる『ヒステリーのアーチ』
ロバート・エガースによると、リリー=ローズ・デップの憑依的でエキセントリックな演技には、いっさいの特殊効果が施されていないという。リリーがエレン役の参考にしたのは、『ポゼッション』(1981)でイザベル・アジャーニが見せた常軌を逸したパフォーマンスである(イザベル・アジャーニはヴェルナー・ヘルツォーク監督による『ノスフェラトゥ』(1979)のヒロインでもある)。リリーは、『ノスフェラトゥ』のフランス人俳優の系譜に名を連ねることができたことを、とても光栄に思っているという(リリーは、フランス人のヴァネッサ・パラディとアメリカ人のジョニー・デップの娘である)。

リリーは幼い頃に見た父ジョニー・デップ主演の映画『シザーハンズ』(1990)がトラウマだったと語っている。手がハサミになっているエドワードの姿に恐怖を覚えたのではなく、彼が世界から疎外されていることが何より怖かったという。そうした背景を考えると『ノスフェラトゥ』のエレンをリリーが演じるのは、ほとんど運命的なことに思える。なぜならエレンの発作に大して周囲の人々は恐怖を感じ、ほとんど腫れ物に触るかのように接しているからだ。おそらく裕福な家庭に育ったと思われるエレンは、トーマス(ニコラス・ホルト)と結婚するが、富に対する執着はほとんど見られない。しかしトーマスはエレンに富を与えようと奮闘する。2人の間には完全に感情的なすれ違いがある。エレンは身近な人々にさえ、悪意のない疎外を受けている。友人のアンナ(エマ・コリン)、そしてライラックの花の価値、香りの価値を共有できるオルロック伯爵=ノスフェラトゥだけが、そのままのエレンを受け入れてくれる理解者のように見える。
エレンは発作を起こすとき、背中を反らせ、『エクソシスト』(1973)のようなブリッジの姿勢へと至る。この演出はルイーズ・ブルジョワの彫刻『ヒステリーのアーチ』からインスピレーションを得たものであり、それが象徴するように、『ノスフェラトゥ』は、「ヒステリー」という病の歴史に踏み込んでいる。ここに本作における「現代のレンズ」の一端がある。『ヒステリーのアーチ』は、男性をモデルにした彫像である。かつて女性特有の病とされてきた「ヒステリー」が、男性にも起こるものだという事実を、男性優位社会への反発として可視化したものだ。
さらにエガースは、19世紀の「ヒステリー」を探っていく上で、病理解剖学者ジャン=マルタン・シャコーの若い女性患者オーギュスティーヌを参照している。アリス・ウィノクール監督の『博士と私の危険な関係』(2012)では、「ヒステリー」を見世物のように扱う世界が描かれた(この映画でオーギュスティーヌを演じるソコの痙攣の演技は凄まじい)。発作を起こしたエレンはコルセットを着用したまま、ベッドに縛り付けられ、薬を投与される。狂気の「見世物化」である。しかしリリーの演じるエレンは、19世紀の抑圧された受動的なヒロイン像には収まらない。リリーの生来の資質といえるアンドロジナス性や反抗性、現代性がエレンというヒロインを、内なる欲望に忠実な、自由意志を持つ女性として成立させている。リリー=エレンによる「ヒステリーのアーチ」は、それ自体が反旗の意思の表明のように力強い。それは男性たちにとっての危機となる。
