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舞台と客席を隔てるカーテン。お互いにシグナルを送り合う「カーテンコール」の美しさ
─以前インタビューで、藤田さんが「海が海であることに拍手なんてないし、ひかりがひかりであることに拍手なんてないし、そしてこれから生きていくこと自体にも拍手なんてないと思うから」と話していたのが印象に残っています(※)。今の話とつながるかわからないのですが、『Curtain Call』って名前が面白いですよね。「ただ準備している姿を見せる」公演に対する拍手というのは、生きる営み自体への拍手になり得るのか? と想像しています。
藤田:「Curtain Call」というのはカーテンが閉まった後に観客が拍手をして出演者を舞台上に呼び戻すことができる時間のことなんですけど、イタリアで公演したときに現地の俳優に話したら、「『コール』と言うことはあるけど」って、「カーテン」にピンときていなかったんですよ。ヨーロッパの現代演劇の場合は、もっとステージと観客の境界が曖昧なんですよね。カーテンは幕であり、日本の芸能の舞台で言えば緞帳のこと。だから「Curtain Call」が起きるのは、幕がある劇場ということになる。改めて調べてみて結構不思議な言葉だなと思ったのをきっかけに、客席と舞台には一つ幕があることに改めて気づきました。
もう一つの話として、僕の祖母が白内障になったときに、「なんだかね、真っ白いレースのカーテンが、瞼から垂れ下がってるようだよ」って言ったんです。本当にそうなんだろうなって想像しました。カーテンは、「わたし」と「外」を隔てているもの。自分という部屋と、外側を隔てるもの。遮光カーテンにするのか、朝日が差し込むカーテンにするかは人それぞれだけど、そういうものが舞台の間に垂れ下がっていることに興奮してしまって。
─なるほど。
藤田:それでいて「コール」というのは、誰かとつながるものなんですよね。もしくは、誰かへのシグナルでもある。カーテンで隔てられていながらも、僕らは舞台上からシグナルを送り続けているんです。そして観客は、上演中は基本的には発言を許されていないんだけど、最後に拍手をする時間がある。それは「良かったよ」という反応というよりも、「じっとしていなさい」と言われた人たちが、なにか堰を切ったようにシグナルを送り返してくれる時間のように感じて、すごく美しいなと思ったんですよね。やっぱり自分をつくっているのは、外側とどうコネクトしたかということでもあるから。そういうことを、最後のカーテンコールの時間だけでなく、この作品ではできたらいいかなと思っています。

─観客とのシグナルの交換みたいなものが、上演を通してあるかもしれないということでしょうか。それはすごく楽しみです。
藤田:そしてそれを、自分のなかにだけあるものとして持っておいてほしいというか。
─と言うと?
藤田:自分だけの秘密を持っておくことが、なにか大切な気がしませんか? 悪い秘密ということではなくて……。マームとジプシーもそういうものであってほしいというか、マームを観た後、あんまり人と感想とかを話してほしくなくて……(笑)。演劇って基本的に無形のものだから、本がいつでもめくれるみたいに、記憶できる機能を持っていないですよね。そういう無形のものを受け取った人は、それを自分のなかの秘密にしてほしいというか。
─演劇というフォーマット自体の性質でもありますが、マームとジプシーが特に「1回性」みたいなものを大事にしてきたこととも関係があるのでしょうか。生きていることのすべては再現不可能であり、それゆえに終わってしまうことに抗いたいけれど、わかりやすく残る形では残したくない、というような……。
藤田:昔、消えるペンってありましたよね? あれ、いいですよね。僕はリフレインという手法を演劇でよく使っていますけど、リフレイン以前に、「あれ、なんて言ってたっけ?」みたいなことを、上演中にもう1回言いたい欲望があるんですよ。制作している側は、稽古を繰り返しているから台詞を覚えているけど、観客からしたら、どんなにいい言葉だったとしても、1秒とか0.5秒の間に言われた台詞を聞き逃したら終わりなわけです。それをもう1回言いたい欲があります(笑)。
もう1回言うことで、その人のなかに入り込める可能性があるのに、1回しか言わないことで、ただ忘れられるものになってない? みたいな……。公演が終わって、劇場の外に出て、またハードな日常に戻っていかなければならない前に、「2回言っておくよ!」みたいな。マームとジプシーには、ちょっとおせっかいなマインドがあるのかもしれない。

─おせっかいなマインド(笑)。でもそれは、書物にして渡しておきます、というような形ではないんですね。
藤田:文字にしたことで、忘れられてしまう言葉や記憶というのもあるんですよね。それを僕は知っているし、みんな知っているんだと思います。たとえば沖縄戦のことだって、あんなにもさまざまな形で言葉にされてきています。けど、たとえば資料館で本を買って、買ったことで満足していないだろうか、と思う。部屋に置いておけば忘れないと思っているかもしれないけれど、手に入れたことで忘れてしまったことっていっぱいある気がするんですよ。