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暮らしには、リズムがある。朝日美穂『フラミンゴ・コスモス』をつやちゃんが解説

2025.4.28

#MUSIC

さまざまな変化を遂げてきた音楽家・朝日美穂

暮らしには、リズムがある。

息の仕方、指の流れ、座る時の動き。
味噌汁をそっとかきまぜる、菜箸の回転。
言葉に詰まってしまったときの、まばたきの速さ。
夜、眠る前に肩を落とす、そのゆっくりとした重さ。
洗濯物を干すとき、袖口を払う無意識の所作。
換気扇の音にまぎれてつぶやいた独り言。
お茶を淹れるときのお湯のそそぎ方。

言ってみれば生活というものの本質は、秩序や理屈の前に、身体と感覚が刻むささやかな繰り返しの運動にあるのではないか。誰だって、意識していなくとも、日常の暮らしに何かしらのリズムが隠れているはずだ。もしもそれを、音楽として表現するとしたら……?

朝日美穂の5年ぶりとなるアルバム『フラミンゴ・コスモス』は、彼女の暮らしの調子が、環境とのあいだに生まれる間(ま)としてそのまま私たちの身体に届き伝わってくる作品だ。しかも、これまでで最も親密な音として。

朝日美穂は、さまざまな変化を遂げてきた音楽家である。1990年代、『スリル・マーチ』などの作品で際立っていたインテリジェントな音楽文法の中でのポップな歌声は、この10年ほどの近作『ひつじ雲』『島が見えたよ』においては、どんどん軽やかなものに変貌してきたように思う。本人も明かしている通り、プライベートで経験した出産や育児といった出来事が作品にも跳ね返り、より一層オーガニックになった印象がある。その延長線上で、今回の作品にはどのような風通しのよさがあるのか、いかに軽快さ・ポップさとして結実しているのか。私は密かに期待していた。

朝日美穂(あさひ みほ)
1996年、ミニアルバム「Apeiron」でCDデビュー。その後ソニーミュージックより2枚のアルバムをリリース。2002年より自身のレーベル「朝日蓄音」を立ち上げる。自身の活動のほか、CMソングなども多数。2020年7月、7年ぶりのフル・アルバム『島が見えたよ』リリース。コロナ禍ではプライベート・スタジオ・ライブを配信。以後、配信でのシングルのリリースを重ね、2023年からはギターの弾き語りもスタート。
朝日美穂のファーストアルバム『ONION』(1998年)

歌詞と歌唱と演奏の一体感に驚く。身体の感覚に根ざして統合された暮らしのリズム

蓋を開けてみると、予想もしていなかったテンションが顔を覗かせて、驚いた。彼女の声は今作で、低く、耳元で囁くような密度を持つようになっていたのだ。本人も「この小さな声じゃないと音響としてよい声にならないんです。大きく出すとどんどんつまらない声になっていってしまうので」(※)と語っているように、その音色は彼女自身の身体的特性を無理なく活かし、力まずして届く塩梅を見つけ出している。演じる声ではなく、生きている声そのものと言ってよいリアリティのあるボーカル。しかも、今作では歌唱スタイルのバリエーションもぐんと増え、それらが歌とラップとポエトリーの境界を溶かすような特異なリズムで紡がれていく。近作で強まっていた「軽快な」「ポップな」といった形容では到底おさまりきらない、ユニークかつ特異なリズム。彼女の暮らしの呼吸と一体化したようなその声とボーカルは、「ラップに影響を受けた」という文句だけでは説明がつかない。あえて例を挙げるとすれば、宇多田ヒカルや中村佳穂、大槻美奈といったような、ラップの影響を取り入れつつも決してヒップホップのフォーミュラに回収されずパーソナルなリズムに昇華していくアーティストを彷彿とさせる。リズムに注意が配されて作られてはいるものの、決して軽快でリズミカルなわけではない――曲名に「コスモス(≒風に吹かれてゆらぐ花)」や「フラミンゴ(≒不安定で優雅な存在)」が冠されている通り――独自の感性が表出している。

OTOTOY掲載のインタビューより

朝日美穂の5年ぶりとなるアルバム『フラミンゴ・コスモス』

たとえば、1曲目の“アンバランス・フラミンゴ”から、そのユニークネスは全開だ。ここでは、歌詞の内容と歌唱・演奏の形式を一致させることで、見事なまでの緊張感が生まれている。<大きく吸って大きく吐いて少しずつ長く>という歌詞は長くゆったりと、<スクロールしても見えない>はスピード感を演出するように、<踏み入れるステップ踏むステップ踏む>は俊敏にリズミカルに、そして楽曲全体はタイトル通り「アンバランス」に歌い演奏される――。あらゆる構成要素が一つの感覚に束ねられているこの状態は、詞と曲とアレンジが別々に置かれたポップソングではなく、身体の感覚そのものに根ざして統合された運動に聴こえる。続いて、3曲目の“Silent Pop”で<昨日より軽くなれ>が息を軽く吐くように、<思い切って断ち切る>が休符をまじえ表現されたとき、もはやその歌詞と歌唱と演奏の一体感に驚くほかない。本作が暮らしのリズムをそのまま反映した作品でありながら、終始一定の強度を保っているのは、そのような特徴によるところが大きいのだろう。

言うなれば朝日美穂は、もはや「生活のリズムを音楽に取り入れる」どころか、「生活によって曲作りをさせられている」ような感覚を作り出している。それは、インタビューで語られているエピソードからも裏付けられるはずだ。元ネタのビートやグルーヴが最終的にどこか別の音楽に変貌していくこと、地に足のついた逸脱を見せていくこと。音楽的影響の内面化の在り方が、他のミュージシャンとは明らかに異なっているのだ。

生活実感に宿る倫理を音楽に転化していくというのは、並大抵の業ではない

ただ、それがパーソナルな領域におさまりきっていないのが肝である。本作は暮らしと地続きのリズムが聴こえてくる一方で、それが「私的な日記」にはならず、生活実感に宿る倫理として音楽に転化されている。言葉の選び方、声の出し方、リズムの乗せ方、楽器の触れ方までを開かれた形に再編成し、「表現とは何か」を身体と生活を通じて問い直しているようだ。たとえば、“スローダウン”の歌詞を聴いてみよう。社会へのまなざしや違和感は分かりやすい政治的スローガンではなく、皮膚の下に潜む感覚として丁寧に届けられることが分かる。それこそが、本作の確固たる強みではないか。

それは、インタビューで語られている通り、ギターという不慣れな楽器との出会いによるところも大きいのかもしれない。鍵盤を主軸としてきた彼女にとって、ギターの導入は手癖を壊し、未知の自分との出会いを自らに課し、創作の方法を根本から問い直す行為であったはずだ。“チョコレートコスモス”のようにギターがもたらす制約と新鮮さによって生まれたような曲もあるし、そのズレこそが、『フラミンゴ・コスモス』に漂う「単に私的な日記に陥らない」魅力だと言える。

言うまでもなく、生活実感に宿る倫理を音楽に転化していくというのは、並大抵の業ではない。昨今はDTMの普及によって、音楽に生活が反映されることはもはや当たり前になった。日常の延長線上で、自らの生活と身体感覚をDAWに直接落とし込むアーティストはますます増えている。けれども、それを「音楽に転化する」際には、圧倒的な飛躍と再構築の力が必要になる。当然ながら、音があっても音楽になっているとは限らないし、書かれた言葉があっても詩になっているとは限らない。極端な話、生活実感をそのまま並べるのであれば、やはり日記になってしまうからだ(※)。

それに、多くの音楽が生活実感を素材として扱っているからこそ、生活に宿る感情——たとえば「迷い」「弱さ」「曖昧さ」「矛盾」——までを矛盾を孕んだまま持ち込もうとすると、楽曲はすぐにバランスを崩してしまう。朝日美穂のような音楽家は、それを一度身体に通して音と詩の適切な形式に編み直していくからこそ、「音楽に転化」し得るのだ。

タイトルが示す通りアンバランスになりながらも、構造的判断と美的感覚でぎりぎりバランスをとっている作品。『フラミンゴ・コスモス』の魅力とは、つまりそういうことなのだろう。

※筆者注釈:一方で、生活実感をそのまま並べた日記のような方向性をリアリティある形で徹底して突き詰めていく手段ももちろんあり得るだろう。一部のヒップホップやハイパーポップ、あるいはボカロミュージックといった音楽は、そういったアプローチで作品の強度を高めているとも言える。

朝日美穂『フラミンゴ・コスモス』

リリース日:2025年4月23日(水)

1. アンバランス・フラミンゴ
2. 通り雨
3. Silent Pop
4. 幕開けのアルペジオ
5. スローダウン
6. ささやかな連続
7. 木枯らしのロンド
8. 世界を揺らし続けてる
9. チョコレートコスモス
10. 羽ばたけバタフライ

作詞 & 作曲:朝日美穂
プロデュース:高橋健太郎
イラストレーション:クラーク志織
参加ミュージシャン:
楠均(drums)、千ヶ崎学(bass)、石井マサユキ(guitar)

『島が見えたよ』から約5年、シンガー・ソングライター、朝日美穂のフル・アルバムが登場。冒頭の「アンバランス・フラミンゴ」は自身の体調不良をユーモラスな歌へと昇華。ポリリズミックな仕掛けも効いたこの曲が新しい朝日を象徴している。バウンドするリズムが心地良い「Silent Pop」(M3)は朝日の真骨頂とも言えるシンセ・ポップ。「通り雨」(M2)や「世界を揺らし続けてる」(M8)は、20年来、朝日を支えてきた楠均、千ヶ崎学とのパワフルなバンド・サウンドだ。一方で、コロナ禍の間に朝日は初めてギターを弾き始めた。アコースティック・ギターのアルペジオで綴られる「幕開けのアルペジオ」(M4)や石井マサユキのエレクトリック・ギターとのデュオで歌われる「チョコレートコスモス」(M9)などは、それを反映したこれまでにないタイプの曲だ。「ささやかな連続」(M6)はありそうでなかった80’sライクなポップ・ロック。その他、シングルとして配信リリースしてきた「スローダウン」(M5)「木枯らしのロンド」(M7)「羽ばたけバタフライ」(M10)を含む全10曲。ヴァラエティに富んだ曲調が不思議と調和する朝日の”cosmos”が完成した。アートワークは2013年の『ひつじ雲』以来、ジャケットのイラストを担当しているクラーク志織。(レーベル資料より)

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