ステロイドを打つたびに増強していく筋肉と比例するように、火力を増していく2人の愛――8月29日(金)公開のローズ・グラス監督最新作『愛はステロイド』は、彼女の長編映画デビュー作『セイント・モード/狂信』がそうだったように、血と涙と吐瀉物にまみれている。
※本記事には映画の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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クィアカップルの、負荷を伴う激しい情動
家庭に問題を抱えたルー(クリステン・スチュワート)と、ボディビルダーのジャッキー(ケイティ・オブライアン)、2人のロマンスとスリラーが絡み合う本作は、ジャンル映画らしい軽快なテンポで、しかし固有のジャンルに囚われることのない大胆な物語を提示する。
皮膚や粘膜を傷つければ血が出て、痛みや悲しみを受ければ涙が流れ、胃への負荷や過度なストレスがあれば嘔吐する。物理的なものであれ精神的なものであれ、何らかの衝撃を受けた後に身体の外に流れ出すこれらの体液を、本作では何度も見ることになる。それらを単に過剰で刺激的な演出、と捉えることもできるだろうが、映画が進むにつれて高まっていくルーとジャッキーの情動――愛しさ、猜疑心、執着、殺意――とリンクし、複雑な思いがないまぜになった2人の愛の表出であるようにも見えてくる。
つまりここで描かれるルーとジャッキーの間にある愛は、受け止めるのに衝撃や負荷を伴うものであるということだ。ほとんど衝動に突き動かされた愛は予想外の方向から飛んできて、ひとたびハマってしまえば抜け出すことはできない。だから痛手を負おうが受け止める他ない。2人の愛に「成就」といった穏やかな言葉は似合わないが、強烈に思いあっていることだけは確かにスクリーンを通して伝わってくる。その奇妙な確かさこそが、本作の特異な魅力である。
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ルーとジャッキーの複雑なパワーバランス
「ルーとジャッキーの愛」と言っても、2人の愛の表現方法は全く異なる。
銃の密輸を行う町のフィクサーを父に持つルーは、暗い過去を抱えているからかどこか内向的な性格だ。ジムでジャッキーに一目惚れをし、そのまま2人は流れるようにルーの部屋で一夜を過ごすが、その夜真っ先に愛撫をしたのはルーからで、翌朝もジャッキーのために甲斐甲斐しく朝食を作ってやる。ジャッキーが殺人を犯した後も、その証拠の隠滅を担う。つまり、ルーがジャッキーに示すのは、相手に尽くすような献身的な愛だ。
一方ジャッキーは、ラスベガスのボディビル大会で優勝することを夢見る、流浪のボディビルダーである。野望に対して貪欲で主体性があり、自らの肉体が持つ魅力も理解している。しかし、ルー一家の犯罪に巻き込まれ、殺人に手を染めるうちに、彼女の行動は衝動性を増し、ルーへの執着も増していくように見える。
ルーはジャッキーを罪の発覚から守るような役回りになるわけだが、そもそもジャッキーはルーの家族に巻き込まれなければ人を殺すことはなかっただろうし、ジャッキーが殺人を犯すのは、ルーのため、ないし2人の愛のためだ。2人の間に常にあるパワーバランスは実に複雑、かつ緊張していて、観ている我々もその深みにハマっていくような感覚に陥るだろう。
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クィアコミュニティが疎だった1989年という時代
映画の舞台となるニューメキシコ州の田舎町の風景も、2人の愛の物語によく似合う。砂塵の舞う、荒涼な砂漠都市。持て余した土地にまばらに点在する建物はどれも薄汚れていて、デートに行ける店といえばダイナーくらい。閉塞感を感じさせるこの町は、父の呪縛も相まってルーを縛り付けているが、ルーを愛するジャッキーをも箱庭のように囲い込むことになる。
また、本作の時代設定は1989年である。レズビアンどうしが出会うことが、今より遥かに困難だった時代(ジャッキーはバイセクシャルという設定であるが)。この辺鄙な町にはおそらくクィアコミュニティが形成されていないだろうし、好意を向けてくる相手を必ずしも好きになれるわけではない。だからこそ、通じてしまった愛はそう簡単に手放したりできないのだ。