コロナ禍を経て、言葉や音楽がもたらす「つながりの力」をあらためて見つめ直したという作曲家 / ピアニストの小瀬村晶。世界各地のボーカリストたちとリモートでやりとりを重ね、「声」を主軸に据えて生まれた最新作『MIRAI』は、彼にとって初のボーカルプロジェクトとなった。
参加アーティストには、デヴェンドラ・バンハート、畠山美由紀、ベンジャミン・グスタフソンら多様なバックグラウンドをもつ7名が名を連ね、アジアの伝統楽器や民謡、ポストクラシカル、ポストロック、エレクトロニカといった多様な音楽性が、多言語の歌声と交わりながら描き出すのは、いまを生きる人々へ向けた静かな希望の風景である。
デッカ・レコードからリリースされた1stアルバム『SEASONS』(2023)以来、2年ぶりとなる本作は、パンデミックによって浮き彫りになった「分断」の感覚と向き合いながら、「人と人が共鳴し合うことの意味」を問い直すようにして制作された。音楽は、何を伝えることができるのか。声は、なぜ人の心を動かすのか。改めて「歌」という表現と真正面から向き合った過程と思索を、たっぷり語ってもらった。
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「自分たちの未来は自分たちの手に委ねられているんだという実感が湧いてきたんです」
─アルバム『MIRAI』のコメントには、「これからの時代を生きていく人々に向けて、いま自分が伝えられること、未来への希望を音楽で描いた作品です」とありました。そうしたテーマと呼応するように、ジャケットには子どもが写った印象的な写真が使われていますが、写っているお二人はどなたですか?
小瀬村:僕の子どもと、長崎県・五島列島の島でお世話になった方です。写真家の阿部裕介さんが撮ってくれました。阿部さんとは以前から親しくさせてもらっていて、前作『SEASONS』でもインナースリーブの写真撮影をお願いしました。今回の写真は、阿部さんが現地のご友人と営んでいる、とても素敵な一棟貸しの宿に、阿部さんと家族ぐるみで滞在したことがあったんです。これは、そのときに撮った写真の1枚で、アルバムのジャケット撮影のために行った旅行ではなかったのですが、とても気に入ったので使わせてもらいました。
─今作『MIRAI』の構想は5年前からあったとお聞きしました。当時、お子さんはおいくつだったのですか?
小瀬村:5歳でした。ちょうど友達との関わりや幼稚園での生活を通して、少しずつ社会と触れていく時期だったんですよね。にもかかわらずコロナ禍になり、毎日マスクをして登園せざるを得なくなった。「これでちゃんとコミュニケーションが取れているのかな」と、親として考えさせられることも多かったんです。表情って、とても大事じゃないですか。

1985年6月6日東京生まれ。2007年にソロアルバム『It’s On Everything』を豪レーベルより発表後、自身のレーベル・Schole Recordsを設立。以降、ソロアルバムをコンスタントに発表しながら、映画やテレビドラマ、ゲーム、舞台、CM 音楽の分野で活躍。映画『ラーゲリより愛を込めて』『少年と犬』『朝が来る』、海外ドラマ『Love Is__ 』、石田スイ総合プロデュースによるNintendo Switchゲーム『ジャックジャンヌ』などの音楽を手掛ける。
─そうですね。特に幼少期、相手の表情を読み取る機会がコロナ禍で少なくなっていたことは、僕も当時気になっていました。
小瀬村:そうなんですよ。当時はいろいろと思うところがありました。世界中で、対立や分断が広がっていたこともその一つです。特にアメリカでは、アジア人への差別が目に見える形で起こっていましたよね。実際に知り合いのミュージシャンたちも、「危ないから日本に帰る」と話していましたし。
そうした現実を目の当たりにして、「このままで大丈夫なのか?」という不安を強く抱くようになったんです。子どもがいるからこそ、未来に対して責任を持たなければという感覚も芽生えましたし。これまでの自分は、たとえば世界中で起きている戦争や、目の前の社会問題に対してすら対岸の火事のように感じていたけど、決してそうではない。自分たちの未来は自分たちの手に委ねられているんだという実感が湧いてきたんです。
─子育てを通して、社会に対するコミットメントの重要性に気づいたわけですね。
小瀬村:はい。そうした気づきを経て、「これからの時代を生きる人たちに、もっと希望や明るさを届けたい」「音楽を、内向きなものとして向き合うだけではなく、前を向く力にしたい」という思いも強くなっていきました。その頃から「アジア人の作曲家」として、自分の立ち位置や社会との関わりを見つめ直しながら、外の世界に向けた作品をつくりたいと考えるようになったんです。

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海外レーベルとのやり取りで見つめ直した、現代の「日本らしさ」
─前作『SEASONS』はピアノを中心にした内省的な作品でしたが、今作はさまざまな「音」が加わったことで、多様な文化が混ざり合っている印象を受けました。中でも、最も大きな違いは「声=ボーカル」が入っていることですね。
小瀬村:2020年の夏にデッカ・レコードのA&Rから連絡をいただいてこのプロジェクトがスタートしたんですけど、会話の中で、「デッカに所属するアーティストたちは、それぞれの土地に根ざした音楽を作っていて、そうしたローカルな個性こそが、グローバルに発信する価値を持っている」と言われたんです。
その言葉を受け、最初に生まれたのが『SEASONS』です。日本の四季や自分の記憶にある風景、すでに失われつつある感覚へのまなざしをピアノだけで表現した、かなり内向きな作品でした。一方で次に作る作品は、より外に向けたものにしたいと考えていたんです。
─なるほど。国籍や性別、世代の違うミュージシャンが多数参加し、古今東西に楽器を用いていながらなお「日本らしさ」が漂ってくる。デッカ・レコードのA&Rが言うところの「ローカルな個性」を、強く感じる仕上がりになっているのは、そうした経緯があったからですね。
小瀬村:まさに。僕は1985年生まれで今年40歳になるのですが、世代的に欧米文化の影響を強く受けて育ちました。戦後、日本には欧米の文化が一気に流入し、それが日本的なものと混ざり合って現在の文化が形成されています。僕たちの世代にとってそれが「当たり前」でしたし、1980〜1990年代の映画音楽や洋楽からの影響は特に大きかった。外から見た「伝統的な日本」とは少し違うかもしれないけど、僕らにとって「日本らしさ」とは、すでにいろんなものが混ざり合った状態なんです。
その一方で、アジアや日本の伝統楽器に対しても、どこかDNAレベルで親しみを感じている自分もいます。たとえばお正月にしか耳にしないような音でも、聴くと心が落ち着く。そういう感覚って、多くの日本人が共有していると思いませんか?

─確かにそうですね。
小瀬村:和楽器との関わりが生まれたのは、2017年ごろでした。漫画家の石田スイ先生と『ジャックジャンヌ』というゲームを制作しているときに「和楽器を取り入れたら面白いかも」とアイデアをもらって、その過程で和楽器の奥深さや魅力を改めて実感したんです。そうした背景もあって、今回は改めて日本の伝統的な音や文化に光を当てたいと考え、琴や尺八、三味線、笙、のほか、インドのディルルバや、中国の二胡なども取り入れました。
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受け継がれてきた音にそっと違和感を忍ばせることで生まれた、無国籍なサウンド
─また、今作ではフィールドレコーディングを行なっていますね?
小瀬村:今回は、ミャンマーのナガ族の音源を使わせていただいています。井口寛さんという、もう10年以上付き合いのあるレコーディングエンジニアの方がいるのですが、彼は年に何度かミャンマーに滞在し、現地の伝承音楽を記録する活動を続けているんです。あるとき井口さんから、「面白い音があるから良かったら聴いてみてください」「もしなにか使えそうなら自由に使ってくださいね」と、いくつかの素材が送られてきました。その中には、村で歌われている歌を収録したアルバムや、多くのフィールドレコーディングが含まれていて、非常に興味深いものでした。
そうした素材と、今回コラボレーションしたジャティンダー・シン・デュルハイレイによるディルルバ(インドの伝統楽器)を組み合わせていくうちに新しい音楽が立ち上がるような感覚も得て、1曲目の”SECAI”と4曲目の”Lore”が生まれました。この2曲はプロジェクトの初期に完成した楽曲で、その方向性を示してくれた、アルバムの中でも重要な位置付けです。
─1曲目“SECAI”に収録されているナガ族の言葉は、英訳すると<Let’s stop fighting. Let’s also stop lying, stealing, and speaking ill of others, because it is not good>という詩の朗読でしたが、先ほどお話されていた「分断」に対するメッセージにも取れますよね。
小瀬村:そうなんです。井口さんから送られてきた音源の一つだったんですけど、英訳と解説を読んだときに、心から感動しました。歌そのものも、村の長老がアカペラで静かに語りかけるように歌っていて、言葉の重みと響きが本当に唯一無二なんですよね。
僕がそこに音楽をつけることで、あの言葉をもう一度、別の文脈で紹介できる。そこに意味があると感じました。アレンジは控えめに、音数も少なくコードをそっと添える程度にとどめています。それでも、どこか不思議な響きがありますよね。不協和音のようでありつつ、風通しの良い音像というか。

─一方、畠山美由紀さんが歌う“Autumn Moon”は、「百人一首」の79番、左京大夫顕輔(藤原顕輔)の和歌がそのまま歌詞になっています。
小瀬村:僕自身はそこまで詳しいわけではないのですが、百人一首は日本に古くからある「詩の形式」として象徴的な存在ですよね。それを現代の音楽に取り入れて、「新しい日本の音楽」として提示できたら面白いと思ったんです。
前作『SEASONS』でもそうでしたが、もともと僕は季節や風景にインスピレーションを受けて曲を作ることが多く、「景色を音で描く」ことに強い関心を持っています。今回の楽曲も、笙の音から始まり、シンセサイザー、尺八、二胡、ストリングス、そしてジャズギターまで加わるという、あまり例のない編成にしました。いろんな音楽的要素が混ざり合っていて、どこかに「違和感」があるようなサウンドになったと思います。
まずは僕がトラックやメロディーをすべて考えてから、畠山さんに声をかけました。もともと畠山さんの音楽がとても好きで、日本語の響きや言葉を大切にしているところにも共感していたんです。実は畠山さんも百人一首にとても親しみを持っていらして、それを聞いたときは本当にうれしかったですね。
─和楽器をフィーチャーしつつも、いわゆる「オリエンタルな響き」ではなく無国籍なサウンドになっているのが、アルバム全体を通して感じる魅力だと思いました。
小瀬村:ありがとうございます。和楽器は音にすごく存在感があるので、全体が引っ張られすぎないように注意しながら構成しましたね。むしろ、和楽器の響きに少しだけ異物感や違和感を加えることで、耳なじみがありながらも新鮮に聴こえるような、そんな音像やアレンジを目指しました。

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「なんで?」と問い続ける声が未来を照らす
─異物感といえば、デヴェンドラ・バンハートとのコラボ“Ongaku”のアレンジも印象的でした。しかも彼は日本語で歌っていますよね?
小瀬村:彼とは以前、“Someday”という曲を一緒に作ったのですが、その時から「次は日本語で歌いたい」と言ってくれていたんです。でも当時は「アメリカ人が日本語で歌うってどうなんだろう?」みたいな、ステレオタイプな思い込みが自分にはあり、そのアイデアにあまり積極的になれなかったんですよね。
でも今回のプロジェクトを始めたとき、ふとその言葉が頭をよぎり、「あれ? 別に悪いことじゃないな」と思い直したんです。デヴェンドラは本当に日本が好きで、日本に来るたびにレコードを掘っては、「これ知ってる?」って僕に聞いてくれるんです(笑)。1970〜1980年代のいわゆる「歌謡曲」的なレコードが多くて、細野晴臣さんのことも崇拝しているんですよ。
きっとデヴェンドラにとっての「日本」のイメージは、たとえば細野さんの『はらいそ』や『トロピカル・ダンディー』だったりするんですよね。僕も1980年代生まれですけど、自分より少し前の日本の音楽を改めて聴き直してみて、今回はそこに敬意を込めて曲を作ってみようと思いました。
─デヴェンドラの考える「日本」のイメージを、具体的にはどのように音像化したのですか?
小瀬村:たとえば尺八や三味線、琴、笙など和楽器的な音色を用いつつ、リズムセクションはむしろジャズ寄りにしています。ドラムはECM(※)のようなアプローチで、ライドシンバルを多めに。ベースはフレットレスベースを使っています。ベースを演奏してくれた織原良次さんはジャコ・パストリアスが大好きなので、少しWeather Report的なニュアンスも入っていますね。
送った曲を彼はすごく気に入ってくれて、仮歌にはなかった<深く〜>という日本語のコーラスを入れてくれたりして。彼は「仕事として音楽をやらない」人なんですよ。そんな彼が喜んでくれたというのは、自分にとっていちばんの収穫でした。
※ジャズや現代音楽を中心とした、ドイツ・ミュンヘンに拠点を置く音楽レーベルのこと

─歌詞のメッセージや、冒頭でおっしゃっていたアルバム全体のコンセプトとも深く関わっていると感じたのが、表題曲“MIRAI”という曲です。ベンジャミン・グスタフソンをフィーチャーしたこの楽曲は、まるで宇宙飛行士の目線で地球を俯瞰したとき、人間同士の争いごとがいかにちっぽけなものであるかを気づかされるような、そんなストレートな歌詞が感動的でした。
小瀬村:これまでの自分は、いわゆる「メッセージ性のある音楽」をあまり作ってきませんでした。どちらかといえば、「自分に必要な音楽を、自分のために作ってきた」というか。誰かに何かを伝えたいというより、自分の内側にある感情を整理したり、癒したりするためのものだったんですよね。メッセージを音楽で伝えるのは、むしろシンガーソングライターの仕事だと思っていた部分もあります。
でも今回は、最初に話したように外に向けて伝えたい気持ちが芽生えました。中でもこの“MIRAI”は、言葉ではっきりと「伝える」ことを意識して作った曲なんです。そうすることで、メッセージというものを自分なりに形にしてみたかった。
それともうひとつ、この曲には「次世代」、つまり子どもたちに向けた視点も込めています。歌詞も、どこか子どもの目線で世界を眺めているような感覚を意識している。純粋で、でも本質を突くような……対立や分断といった社会問題や環境問題に対して、素直に「おかしいよね?」と言える感性が、子どもたちの中にはあると思うんですよね。
―<なんで、なんで、なんで、同じだよ なんで、なんで、同じさ、同じなんだ>という歌詞は、そんな子どもならではの素朴な疑問を表しているようです。
小瀬村:子どもって、何に対しても「なんで?」って素直に問いかけてくるじゃないですか(笑)。すごく本質的なことを、当たり前のように尋ねてくる。おそらく頭のどこかに「子どもの問いかけ」のイメージがあったんでしょうね。
曲を作るとき、僕の場合は作詞と作曲をほぼ同時に進めていくことが多いんです。メロディを作りながら自然に歌詞が出てくるというか。歌も「音」として捉えていて、「どの音で発音されるか」が内容と同じかそれ以上に重要なんです。楽器と同じように、発声や発音のニュアンスによって意味や感情の伝わり方がまったく変わってくるので。
長くインストゥルメンタル曲を作ってきたからなのか、そうした細部にはかなりこだわっていますね。たとえば出てきたメロディに対して、「どんな発音なら自然に乗るか」を探ります。そうすると、そこに導かれるように言葉が出てくることが多いんです。
