アイルランド語でラップするーーその行為自体がすでに抵抗であり、歴史の再解釈だ。ヒップホップグループ・KNEECAPは、音楽、言語、政治を混ぜ合わせ、北アイルランドという「ジャンル」化された場所に新たな現実を刻みつける。
2024年のサンダンス映画祭でアイルランド語作品として史上初の公式出品を果たし、ついに8月1日(金)に日本でも公開された映画『KNEECAP/ニーキャップ』は、そんな彼らの半自伝的物語。
背景にあるのは、単なる若者たちの成長や友情ではない。彼らの存在そのものが、「ザ・トラブルズ」と呼ばれる北アイルランド紛争の残響とつながっている。だが、映画や音楽、小説などによって何度も「消費」されてきたこの歴史は、どこまでリアルで、どこまでステレオタイプなのか。KNEECAPはその問いを爆音と共に投げかける。
KNEECAPと映画『KNEECAP/ニーキャップ』を深く知るために、まずは「ザ・トラブルズ」と呼ばれる歴史から深掘りしていこう。
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ポップカルチャーが消費してしまった歴史「ザ・トラブルズ」とは
ミルクマンが路地から現れる直前、真ん中の妹が読んでいた本にはこんな言葉が書かれていたかもしれない。「あらゆる歴史はロマンチックに語られる。そうでなければ、土に還り木となった血と汗と涙の印刷物が、退屈な歴史の教科書の1行のみになってしまう」
ブッカー受賞の小説『ミルクマン』、アカデミー脚本賞の映画『ベルファスト』、女優ニコラ・コクランをブレイクスルーさせたテレビシリーズ『デリー・ガールズ ~アイルランド青春物語~』。世界的に高い評価を受け、日本にも輸入されたこれらの作品が、いずれも北アイルランドにおける特定の時期──1960年代後半から1990年代後半──を舞台にしているのは偶然ではない。
とにかくポップカルチャーは「ザ・トラブルズ」と呼ばれるこの期間が大好物だ。それにアイルランド訛りの英語が加わればシェフズキス。Disney+で配信され、絶賛を浴びた『セイ・ナッシング』もこの時期に実際に起きた出来事をベースに作られているし(原作はデュア・リパ主宰のブッククラブでマンスリーブックにも選出)、2023年女性小説賞でショートリスト入りした『Trespasses』もそう(今年2025年下半期に映像化)。
北アイルランドに少しでも知識のある人であれば、まるでIRA(アイルランド共和軍)とジェリー・アダムズ(※)以外に語るべきソフトパワーがないかのように、真っ先にイングランドとのあいだで争いの絶えなかった30年間を思い浮かべ、ロマンチックに、あるいはエキゾチックに消費する。セクト主義に好奇心を持つ受け手の需要と、文化戦争要素を取り入れつつヒットを作りたい制作側の供給。その均衡はザ・トラブルズが文化的レガシーとして後世に残される限り、維持され続けるだろう。
※ジェリー・アダムズ=北アイルランドの政治家でシン・フェイン党の元党首。IRA(アイルランド共和軍)との関係が長年取り沙汰されるも、和平交渉に尽力し、1998年のベルファスト合意成立に大きく貢献した人物。
実際、歴史フィクションにおいて「どこからどこまでを、どのように語るか」が最も重要である以上、紛争の始まりが曖昧でも、1998年のベルファスト合意によって「一応の終わり」が設定されているのは、物語を作る上で非常に都合がいい。たとえば、今ガザやウクライナの現状をロマンチックに描けば、ただちに批判に晒されるのは明白だ。
ザ・トラブルズとは何かという概略はAIに頼んだほうが早い。「非ロマンチックに300字程度でザ・トラブルズを説明して」みるとこう返ってくる。
ザ・トラブルズとは、60年代後半から98年までの北アイルランドでの宗派間対立と暴力紛争を指す。カトリック(ナショナリスト=緑色がトレードマーク)とプロテスタント(ユニオニスト=オレンジ色がトレードマーク)の間の政治的・宗教的緊張が背景にあり、イギリス統治への抵抗や統一アイルランドの要求が衝突の原因。IRAなどの武装勢力と英国軍や地元警察との間で戦闘が続き、数千人が死亡。1998年のベルファスト合意で和平が成立したが、遺恨は残る。
概ねAIのまとめで間違いないだろう。だが、細かい部分で指摘したいところがある。そしてそれが、映画『KNEECAP/ニーキャップ』を観る上で重要なポイントである。

一つ目は、呼称だ。日本では「北アイルランド(Northern Ireland)」と表記される以外ないが、自分たちの土地をアイルランドの一部だと見なす人々は「アイルランド北部(North of Ireland)」、それか単に「ノース」と呼ぶ。この映画でもそのほかのインタビューなどでも、KNEECAPのメンバーは絶対に「北アイルランド」とは言わない。つまり、呼称一つで政治的スタンスを表明しているのだ。
二つ目は、KNEECAPやアイルランド人が憎むのはイギリス・英国全土ではなく、厳密にはイングランドである点。KNEECAPのライブや切り抜き動画にカトリック系フットボールクラブであるセルティックのユニフォームを着たファンが度々映るのは、アイルランドとスコットランドのあいだに歴史的な共通点があるからだ。つまり、イングランドから侵略を受け、併合され、アイルランド語とスコットランド語という同じゲール語族の母語を奪われた苦い記憶。日本では往々にしてイングランドとイギリスを区別せずに表記されるが、北アイルランドやスコットランドの人々からすればもってのほかで、彼らをブリティッシュと呼ぶのは、アイリッシュギネスがアメリカンギネスと一緒だとのたまうのと同じくらい無礼である。
KNEECAPと映画『KNEECAP/ニーキャップ』を語りはじめるまでに、これらはすべて必要な前置きだ。常に話題を撒き散らす3人は現在のところ、彼らの内側以上に彼らの外側にある事象が彼らの存在を物語っている。ザ・トラブルズに関する小説、映画等は、北アイルランドを知る「きっかけ」にすぎず、言ってみれば〇〇入門という新書を読んだようなもの。しかし彼らは違う。長いあいだ北アイルランドはロケーションではなく、もはやジャンルとなっていたが、この映画はその構造を覆す。
ほとんどの読者が入門編で満足し、「きっかけ」の先を深く考えるよりも「きっかけ」自体を掴めたことへの快感で足取りを止めるなかで、「きっかけ」の壁をぶち壊した先にこの映画はある。北アイルランドにこびりつくクリシェと、そのクリシェばかりをポップコーンばりに頬張る観客へのカウンター。それが映画冒頭10秒に詰まった意味だ。
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ポスト・トラブルズの語り部たちーーKNEECAPとは何者か
オートフィクション映画のシャワーカーテンを引くのが下品だとわかっていても、その内側を覗き見たくなってしまうーーそれがKNEECAPの魅力だ。KNEECAPは2017年結成。モ・カラ、モグリー・バップ、DJプロヴィは雑に括れば3人ともミレニアル世代だが、彼らのうちモ・カラ(26歳)とモグリー(31歳)はカトリックの多い西ベルファスト出身でCeasefire babies(日本語では「停戦ベビー」の意)と呼ばれるベルファスト合意前後に生まれた世代。モ・カラは地元のパブ「Maddens」で働いていた。DJプロヴィはデリー出身で、モ・カラより一周りほど年上の37歳。劇中でも描かれたようにDJプロヴィはアイルランド語教師の経験が9年あり、1年生から7年生(日本の小学校教育に相当)を担当していた経歴を持つ。3人ともアイルランド語を話せるが、ゲールスコイル(アイルランド語の小学校)に通い、ネイティブとして育ったのはモグリー・バップだけ。DJプロヴィは北アイルランド紛争の記憶を鮮明に持ち、巨大なライフルを持って街中を歩くブリテン軍を今でも覚えているそうだ。

映画の中では警察署でアイルランド語を話すモ・カラの通訳としてDJプロヴィが抜擢されるが、実際にはモ・カラの友人が警察署に通訳として駆けつけた。3人が知り合ったのはモグリーがオーガナイザーの一人で、DJプロヴィがパネラーで、モ・カラがボランティアで参加したベルファストのアイルランド語文化フェスティバル。初めて音楽制作をしたのはガレージではなく屋根裏部屋で、使用したのはAppleのGarageBand。映画出演にあたっては6週間の演技レッスンも受けている。それでも、モ・カラがドラッグを売って捕まったこと、DJプロヴィが「Brits out」と書かれた尻をステージで丸出しにして教師をクビになったこと、薬物を助長するとしてRTÉ(アイルランド放送協会)のアイルランド語専門ラジオRnaGで”C.E.A.R.T.A.”(2017年)が放送禁止となったことは事実だ。

彼らの人気を決定づけたのは2024年リリースのセカンドアルバム『Fine Art』である。アイルランド国内での立ち位置としてはビリー・アイリッシュやタイラー・ザ・クリエイター、サブリナ・カーペンターらと並ぶアリーナクラス。ライブやデモを見る限り彼らのファン層は、White Foxのフーディーを着るα世代の少女でも、テクノリバタリアンとポピュリズム政党に失望するZ世代でもなく、倫理観とモラルの針で作られたコンパスのみを持ち歩いた結果袋小路に嵌った、リベラルに対してなけなしの希望を未だ抱くミレニアル世代と正気な中道が中心に思える。
また、彼らを支えるマネージャーのダニエル・ランバートも重要な存在だ。KNEECAPとの出会いは2018年か2019年、ベルファストのパブである。彼らはビジネスパートナーになるより先に友達になった。ダブリンにある地元密着カフェ「Bang Bang」のオーナーであり、アイルランド最古のフットボールクラブ・ボヘミアンFCのCOOでもある彼は傑出したビジネス才覚とコネクションを持ち、たとえばアーティスト(Oasis、Fontaines D.C.、Thin Lizzyなど)とコラボし、ユニフォームをモグリーに着せ、ボヘミアンFCのグッズ収益を2015年以降4桁(2000%)も増加させている。
「いやいや、Bang Bangを実質的に経営してるのは妹のグレースなんだ。彼は忙しいからさ」。そう言いながら、温かいチャバッタを私に提供してくれたのは、Bang Bangで働くCiaranである。店の壁は親パレスチナを示すステッカーやフライヤー、社会主義やパンクのZineで埋め尽くされ、ダブリン滞在中の私の目はハエのように店中を泳いでから彼に留まった。「でもときどき彼もコーヒーを飲みにくるよ。KNEECAPもね。はじめて会ったのは6年前かな。ここで小さいショーをしたことがあって、そのときに彼らのことを知ったんだ。客は30人ぐらいで、今でも映像がYouTubeに残ってるよ」。


彼らの音楽を知らなくても、ソーシャルメディアでドゥームスクロールしていれば一度は彼らの話題がタイムラインに上ったはずだ。2025年春の『コーチェラ』以降の目立ったトピックを時系列順に見ていこう。
・4月18日、二週目のコーチェラ。一週目ではなぜかスクリーンに表示されなかった「Israel is committing genocide against the Palestinian people」などイスラエル批判のメッセージが映し出される
・4月22日、オジー・オズボーンの妻であるシャロン・オズボーンがKNEECAPを猛批判。US公演のためのビザの取り消しを求めるが、彼女の激怒がミームになったおかげでKNEECAPのYouTube再生数が増加
・4月23日、バイラルしていた2024年11月のロンドン公演の映像(英国法で禁止されているレバノンの組織ヒズボラの旗を掲げたとされる)により対テロ警察が調査開始
・4月30日、バイラルしていたもう一つの動画(2023年11月のライブで国会議員を罵っていたとされる)によりドイツのフェス出演が2つキャンセル
・5月1日、KNEECAPを支持する100人以上のアーティストが公開書簡を発表。ポール・ウェラーやプライマル・スクリーム、パルプ、Fontaines D.C.らの名前も
・5月30日、警察の介入により、グラスゴーの TRNSMTフェス出演がキャンセル
・6月18日、ウェストミンスター地方裁判所にテロ容疑で起訴されたモ・カラが出廷。おそらくジョークだろうが、KNEECAPのマネージャーによると「アイルランド語で話すモ・カラのために通訳を探そうとした判事が「もし誰か知っていたら、」と傍聴席に声をかけると、全員が一斉にそこにいたDJプロヴィを指差して爆笑した」とのこと。これは映画冒頭でモ・カラとDJプロヴィが出会うシーンと重なる
・6月21日、パンクやポスト・パンクに慣れ親しんできたはずのイギリスのスターマー首相がKNEECAPの『グラストンベリー』出演は「適切でない」と発言。それに対してKNEECAPはソーシャルメディア上で、「武器提供してジェノサイドに加担してるほうが、適切でない」とコメント
・6月26日、パレスチナへの支援を求めるビデオ『See it. Say it. Censored』を公開
・6月28日、『グラストンベリー』に出演。パレスチナ国旗はもちろん、民族独立を目指すカタルーニャの旗や、ベルファストが属するアルスター地方の旗、レバノンの旗、イギリス連邦加盟国のシエラレオネの旗などが掲げられた
・6月29日、2023年11月の件に関しては正式にモ・カラへの容疑が取り下げられる
・7月11日、ロンドンの地下鉄において、9月に開催されるウェンブリー・アリーナでのライブ告知の広告掲示が禁止になる
・7月24日、ハンガリー政府から「反ユダヤ的ヘイトスピーチ」を理由に3年間ハンガリー入国が禁止に。『Sziget festival』への参加がキャンセルに
・8月20日に2024年11月の件で再び出廷する予定
KNEECAPやFontaines D.C.にここまで支持が集まるのは、アイルランド島がパレスチナに似た宗教戦争と侵略併合を800年も経験してきた当事者性があるからだ。アイルランドはユーロ圏で最も親パレスチナであり、1980年にEUの中ではじめてパレスチナの独立支持を表明した国でもある。ベルファストには自分たちを今でも支配してくるイングランドをイスラエルと見なすグラフィティがあり、ソーシャルメディアでは下記の画像が出回った。
パレスチナの歴史をアイルランドに置き換えた写真
とはいえ、KNEECAPが清廉潔白の聖人君子かというと決してそういうわけではない。2024年、イングランドのブライトンで開催された『The Great Escape』というフェスで起こったボイコット事件。全出演アクトの25%にのぼる100組以上が、イスラエル支持のバークレイズ証券株式会社に反対を表明するために出演をキャンセルしたが、KNEECAPは出演を決めた。「俺たちの生活はライブの収益に依存してる。いずれ何らかの形でこういう(バークレイのような)企業とつながってしまう」とNMEのインタビューでモグリーは語っている。「お金があれば全部ボイコットして、家にこもって一日中ツイートするのが理想だけどさ」。
自身を労働者階級だと見なす彼ら。「俺たちは(ジェイムズ)ジョイス(※)になりたいわけじゃない。ただ楽しんでやって客にも楽しんでもらいたいだけだ」とYouTubeで純粋さをアピールするモ・カラは劇中で大量のドラッグを摂取し、撒き散らしているが、かといってそれらは彼らが粗野だという証明にはならない。むしろ意図してアイルランド語を選び取り、アイルランド語のルネサンスを狙い、国家の首相から警戒されるほど強くパレスチナ支持を打ち出し、見事世界中のメディアとオーディエンスをスクリーンに釘付けにさせた彼らは明らかにストリートスマートだ。特にモ・カラは恐れ知らずで口が達者である。
※ジェイムズ・ジョイス=『ダブリン市民』(1914年)、『若き芸術家の肖像』(1916年)などを手がけた、20世紀の最も重要な作家の1人と評価されるアイルランド出身の小説家、詩人。
「アメリカ軍がスポンサーだった『SXSW』はさすがにボイコットした。でもフェスティバルをボイコットして、お金を失い、プラットフォームから降りたって、誰も気にしないんだ。パレスチナの人にも会ったことがあるけど、彼らもアーティストに負担がかかるのは不公平だと言っていた」。
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アイリッシュネスの風刺とカリカチュア
戦略家の彼らは、アイリッシュのステレオタイプをサービス的に織り混ぜ、ツイストさせるのもうまい。劇中では昔ながらのアイリッシュ──カトリック教会に通う信者──の造形をスクリーンで早々に見せ、海の外にいる観客にエキゾチックなアイルランド映画がはじまった高揚感を浴びせる。プロテスタントとカトリックの恋物語はいつだって悲劇だ。DJプロヴィが被るバラクラバ(目出し帽)はIRAを想起させるアイテムとしてアイルランドでは定番だし、セカンドアルバム『Fine Art』のアートワークに使うのはもちろん、映画でもキーアイテムとして登場する。それにコカインの首都とも称されるロンドンから運ばれてくるドラッグは、アイルランド映画やテレビシリーズにおいて度々ユースカルチャーのモチーフの一つとして扱われる。

映画『KNEECAP/ニーキャップ』はセンシティブな人には向かない辛辣なユーモアと風刺が効いた成長物語である。2024年のサンダンス映画祭で史上初のアイルランド語映画として出品されたこの作品は、監督のリッチ・ペピアットもアイリッシュ。日本の公式サイトでは本作を「アイルランド版トレインスポッティング」と評しているが、地元紙アイリッシュ・タイムズはこの映画を『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』になぞらえている。劇中で「アビー・ロード?」ととぼけるモグリーだが、その不必要なセリフこそリファレンスに対する最低限必要な愛である(ちなみに、映画に出演しているマイケル・ファスベンダーとともに、The Beatlesのアルバムカバーをマッシュアップした写真をソーシャルメディアにポストしている)。ビートルズは逃げ、KNEECAPも逃げる。とりわけ、ビートルズがテレビのリハーサルを抜け出し外階段から駆け降りるショットは、モグリーが会場を抜け出し警察から逃げるシーンと少し重なる。荒唐無稽な彼らが、ひょっとして21世紀のビートルズかもしれないと思わせてくれる。

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奪われ、死にかけた言語の再起ーーアイルランド語ルネサンスの日は近い
また、KNEECAPとの関連を示す明確なデータはないが、アイルランド語ルネサンスも現実味を帯びてきている。我々日本人の多くが退屈と感じていた古文漢文の授業同様、「アイルランド語の授業なんて誰も好きじゃなかった」とYouTubeの街頭インタビューでベルファスト市民が答えている一方で、今ダブリンでは過去100年間で最も多くの人がアイルランド語を話しているという記事がある。2022年になってようやくアイルランド語が北アイルランドでも正式な公用語として認められ、法廷でも使えるようになった。2024年には初のカトリック系統一派の首相が北アイルランドに誕生した。TikTokでは、アイルランド語を意味する「#Gaeilge」が1億2000万回以上の再生数を記録。言語学習ツール「Duolingo」では、2018年時点でアイルランド語学習者が420万人で、ネイティブスピーカーの42倍。加えて、アイルランド語学校の数が劇的に増加しているそうだ。4万人以上がアイルランド語の小学校に通い、1万2千人以上がアイルランド語のみで学ぶセカンダリースクールに通っている。記事によってはKNEECAPのほかに、クレア・キーガン原作の映画『コット、はじまりの夏』やアイルランド出身の俳優陣(ポール・メスカル、ニコラ・コクラン、シアーシャ・ローナン、バリー・キオガン)も引き合いに出し、「今若者にとってアイルランド語を学ぶのがクール」と締め括っている。
「彼らがアイルランド語の復権に貢献しているのは間違いない」と私に念を押すのは、レコードショップSpindizzy Recordsで働くJasperだ。「昨日も入荷したばかりのKNEECAPの7インチが即完した。アイリッシュとか観光客とか、年齢さえ関係なく彼らは幅広く人気があるね」。

私がシニカルに「でも彼らがマーケティング戦略の一環としてアイルランド語を使ってるという可能性は?」と聞くと、彼はこう言った。「たとえそれがマーケティングの一つであったとしても、しないよりはマシだ。パレスチナへの連帯と同様にね。もっと言えば、Fontaines D.C.もPebbledashもアイルランド語を使って曲を作ってるし、僕が思うに、ただそうすべき時が来たってだけなんだと思う。アイルランド語なんて学校で習ったきりで、昔は話せてたけど大人になったら忘れてしまう人がほとんどのなかで、彼らのおかげで死にかけの言語を学び直そうと思える。僕もその一人だし、僕の場合は昔の──かつてエンヤも所属してたこともある──Clannadってバンドを聴くようになった。音楽的な方向性は僕のバンドとは違うけど、政治的スタンスにはミュージシャンとしてすごくリスペクトしてるよ」。
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移民排斥とは正反対にあるKNEECAPの思想
最後に、曲解を招かないよう言っておかねばならないのは、アイルランド島の統一を望むKNEECAPのメッセージは日本を含む世界で流行っている右派の移民排斥とは正反対であるということだ。彼らは確かに自分たちの文化や歴史に誇りを持っているが、一方でアイルランド系移民の数は世界有数で、アイルランド島の人口700万人の10倍程度いるとされている。移民排斥やゼノフォビアに対して彼らは同調しないし、「吐き気がする」とDJプロヴィはインタビューに答えている。伝統文化の再発見を、「移民のせいで伝統が壊される」と婉曲させる一部の日本人は彼らを見習ったほうがいい。そのためにやるべきことは至って簡単なのだから。それは「KNEECAPを観察せよ。」ということ。
現在英語圏で出回っているほとんどすべてのインタビューにおいて話が音楽制作よりも政治的な方向に走っている彼ら。しかし「サウス(ダブリン)でアイルランド語を話しても問題にならないが、ノースで話すと政治的になる」と言いつつ決して口を閉ざさないからには、彼らもそれを覚悟しているし、利用しているのだろう。ハイプを乗り越えて26+6=1(※)の無理難題を証明するO’ラマヌジャンになるか、それとも「こいつらは反ユダヤ主義者だ」というガスライティングに負けてロマン主義の社会正義戦士で終わるか。おそらく彼らはどちらも望んでいないだろうが、これまでのポップカルチャーの歴史を見ていれば、意図しない未来に引き摺り込まれることだけは確定している。
※アイルランドの26地域とイギリス占領地域の6つの地域を合わせて1つのアイルランドになるという意味
映画『KNEECAP/ニーキャップ』

監督・脚本:リッチ・ペピアット
製作:トレバー・バーニー、ジャック・ターリング
撮影:ライアン・カーナハン
音楽:マイケル・“マイキー・J”・アサンテ
出演:モウグリ・バップ、モ・カラ、DJプロヴィ、ジョシー・ウォーカー、マイケル・ファスビンダー
2024年/105分/イギリス・アイルランド/原題:KNEECAP/カラー/5.1ch/2.35 : 1/R18+
© Kneecap Films Limited, Screen Market Research Limited t/a Wildcard and The British Film Institute 2024
日本語字幕:松本小夏
後援:アイルランド大使館
配給:アンプラグド
公式サイト:https://unpfilm.com/kneecap/
<ストーリー>
北アイルランド、ベルファストで生まれ育ったドラッグディーラーのニーシャ(MCネーム:モウグリ・バップ)と幼馴染のリーアム(MCネーム:モ・カラ)。麻薬取引で警察に捕まったリーアムは、英語を話すことを頑なに拒み、反抗的な態度を貫いてた。そこに通訳者として派遣された音楽教師のJJ(MCネーム:DJプロヴィ)が、リーアムの手帳に綴られていたアイルランド語の歌詞を発見。その才能に目をつけ、3人はアイルランド語の権利を取り戻すべく、アイルランド語のヒップホップを始めることに。