グータッチでつなぐ友達の輪! ラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコーナー「FIST BUMP」は、東京で生きる、東京を楽しむ人たちがリレー形式で登場します。
9月11日は音楽活動のほか、被写体としても活動している雑魚ドールさんからの紹介で、大森靖子さんが代表の「TOKYOPINK」に所属するシンガーソングライター・はる陽。さんが登場。進学校で過ごした高校生活や、大森靖子さんのプロデュースでデビューした経緯のほか、アイドルグループ「anew」としての活動などについて伺いました。
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厳格な進学校でも、歌手の夢を曲げなかった
タカノ(MC):昨日の雑魚ドールさんとは「生ハム仲間」というお話を伺っていますが。
はる陽。:昨日、ドールと「何か、生ハムが全部持っていっちゃったよね」という話をLINEでしていました(笑)。でも本当に、私たちの中であれはすごく運命的な話だったんです。ドールとは初めて会ったその日に一緒に踊ったりして、すぐに仲良くなったんですよ。
Celeina(MC):初対面のタイミングでそこまで深く仲良くなれるというのは、何かお互いに感じるものがあったんでしょうね。
はる陽。:そうですね。そこからLINEとかも頻繁にやり取りするようになって。「踊りに行こうぜ!」みたいな感じで、イベントとかに一緒に遊びに行くようになりました。
Celeina:パワーワードですね、「踊りに行こうぜ!」。
タカノ:言いたいし、言われたいですよね(笑)。
Celeina:そんなはる陽。さんはシンガーソングライターとして活動されているということで、音楽活動を始めたのは何歳ごろからなんですか?
はる陽。:ピアノなどの楽器に触れ始めたのは幼稚園の頃なんですが、音楽活動自体を始めたのは高校の時からです。
タカノ:どうやら、学生時代にはすごく厳しい寮生活を送られていたと伺っています。
はる陽。:そうなんですよ。まず、朝は6時20分に地獄のような音楽で起こされるんです(笑)。普通だったら「爽やかな朝だね」みたいな曲を聴きたいのに、「ジャジャジャ、ジャーーン」みたいなクラシックで起こされて。それから6時半には外へ出て、雨が降っていなければ外周を1キロ走るみたいな感じで、本当に厳しかったと思います。
Celeina:めちゃくちゃ体育会系ですね!
タカノ:確認しておきたいんですけれど、昭和の話じゃないですよね。進学校ということですか?
はる陽。:はい、現代の進学校です(笑)。医学部とか歯学部を目指すような進学校に一応入っていたんですけれど、私の場合は、「この子は寮に入れないと絶対悪い子になるから、寮に入れろ」という祖父からの遺言があって、その学校に進学していたんです。なので、私は「お医者さんになりたい」という気持ちは全然なくて、幼稚園の時から歌手になりたいと思っていました。
高校では「医学部に進んでお医者さんになるのが、人間として1番素晴らしい」という価値観が普通だったんですが、私はそうではなかったので「無理です」と言っていました。でも「歌手になる」という1番本気の夢は、馬鹿にされたらすごく傷つくと思い、進路希望には「吉本興業」と書いていました。歌手の次には、お笑い芸人さんになりたかったので。
Celeina:ちょっと待ってください、いろいろエピソードが強すぎて、頭の中が混乱しています(笑)。すごく校則が厳しい学校で寮生活を送られていたとのことですが、エンタメや音楽にはどういう形で触られていたのか気になります。
はる陽。:当時は、ほぼ触れることはできませんでした。実家は東京で学校は埼玉だったので、平日は寮で暮らしていて、金曜日の授業が終わったら実家に帰るみたいな生活だったんです。土日は音楽やテレビに触れる機会はあったんですが、習い事や塾にも通っていたので、リアルタイムでエンタメを摂取できてはいませんでした。
ただ、その分友達と話す時間がすごく長かったので、友達から「このグループはこういうものでね」とか教えてもらったりしていたんです。なので、アーティストに触れるよりも、その友達が感じたものを聞くみたいなことが多かったです。
Celeina:なるほど、伝聞ですね!
タカノ:スマホやインターネットで話せないから、口伝で情報が伝わっていくということなんですね。面白いです。
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コロナ禍をきっかけに作った1曲が憧れの人に届いた
Celeina:そんな中で、はる陽。さんが活動への1歩を踏み出したのはどういったきっかけがあったんですか?
はる陽。:コロナ禍に入って、寮に行けなくなったんです。授業もリモートで受けていたので、家で過ごす時間が長くなって、ギターの弾き語りや、配信をし始めたりしました。今、私の楽曲を聴いてくれている人の中にも、もしかしたらその当時の配信を聞いてくれていた人もいるかもしれないです。
Celeina:素敵ですね! そこからどんな流れで、大森靖子さん代表の「TOKYOPINK」に所属することになったんですか?
はる陽。:YouTubeで初めて靖子さんの“絶対絶望絶好調”という楽曲を見た時にすごく衝撃を受けて、そこから靖子さんのSNSを追うようになったんです。
その当時、靖子さんのファンの間で、靖子さんにDMで近況報告をする文化がなんとなくあったんですよ。なので、自分も報告しようと思って「私は歌手になりたくて、こういうふうに音楽を作ってみました」とDMを送ってみたんです。そうしたら、靖子さんからDMが返ってきて、LINEのQRコードと一緒に「ひっそりプロデュースしたい」みたいに言っていただいた感じです。
タカノ:なかなかないことですよね。
はる陽。:本当に、まさか返事が来るとは思っていなかったし、そもそも読んでもらえるとも思っていなくて。だから、その時はめちゃくちゃびっくりしました。当時はマンションに住んでいたんですが、屋上まで行って夕日を見ながら、「今日という日を絶対に忘れないぞ」と噛みしめていました(笑)。
Celeina:ロマンチックですね。今BGMでも流れているはる陽。さんの“FREESIA”、こちらがその時に送られたという楽曲ということですよね。
はる陽。:そうです。これが初めて作詞作曲した楽曲で、映像とかも自作しました。高校の友達に、編曲ができるルークくんという子がいて、その子が急に「編曲してあげるよ」と言ってくれたりもして。いろんな奇跡が集まってできた曲なので、今思うとすごかったなという感じです。