INDEX
深いコミュニケーションへ踏み出すための「料理」

鮎美にフラれたことで台所に立つようになった勝男だが、彼の変遷をたどると、調理は鮎美への贖罪だけではないことがわかる。あるときは「鮎美に料理を食べてほしい」という目標にもなり、あるときは自分を癒すための手段にもなる。そして、それまで避けてきた深いコミュニケーションへ踏み出すためのきっかけにもなるのだ。
顕著なのが、鷹広兄さん(塚本高史)のためにとり天を作る第5話。兄の様子がおかしいことに気づいたものの、話をうまく切り出せなかった勝男は、兄とともに立ち寄った九州居酒屋で食べ損ねたとり天の自作に奮闘する。途中、「とり天作ったからって、どうにかなる話じゃないんだよ」と勝男自身も呟いていた通り、兄にとり天を食べさせること自体が目的だったわけではない。とり天はあくまで口実で、その後、「兄さんが心配なんだ」「一人で悩まれているのが寂しい」と語ったように、悩みを抱える兄に寄り添いたかったのだ。
さらに第6話では、友人の椿(中条あやみ)宅でのホームパーティー帰りの勝男と婚活パーティー帰りの鮎美が、たまたま図書館で遭遇する。パーティーで食事にありつけず、お腹を空かせて立ちくらみを起こした鮎美に、勝男はホームパーティーのために手作りしてきた小籠包を「これ食べる?」と差し出す。
ここで勝男の調理をはじめた当初の目的だった「鮎美に料理を食べてほしい」は達成されるのだが、もし勝男の中で「料理が作れるようになった自分を鮎美に認めてほしい」が最優先事項だったならば、料理本来のポテンシャルを発揮しきれない冷めた小籠包は出さないはずだ(食べ方に口を出していたが、あくまでもあれは美味しく食べてほしいという勝男の善意だと思う)。
つまり、この時点で、小籠包の美味しさは勝男の中で二の次になっている。勝男がしたかったのは、小籠包入りの蒸籠を囲んで、鮎美が今なにをしていて、どんなふうに生きているのか、どんなことを考えているのかを聞く「対話」だったのではないだろうか。