台湾・台中を拠点に、台湾を代表する大型野外フェスの1つとなった『𝐄𝐌𝐄𝐑𝐆𝐄 𝐅𝐄𝐒𝐓(浮現祭)』。その主催を手がけるのが、現地のインディーズシーンを牽引する「Emerge Music(浮現音樂)」だ。1999年のレコード会社設立、2001年に台中で初となるライブハウス「老諾 Live House」創立以来、台中という地方都市に根差しながら、台湾インディーズの土壌を耕してきた。
2019年に音楽フェス『𝐄𝐌𝐄𝐑𝐆𝐄 𝐅𝐄𝐒𝐓』をスタートさせ、近年は日本のアーティストも多数出演するなど、アジア規模の交流を牽引する重要な存在となっている。
今回、「Emerge Music」の代表であるNunoこと老諾にインタビュー。退役後にインディーズでバンド活動をしながらシステムエンジニアをしていたという異色の経歴を持ち、そこから台中にライブハウス文化を、フェス文化を根付かせた25年の歩みは、そのまま台湾インディーズの成長物語であり、現在の彼はアジアの音楽シーンを担うキーパーソンの1人である。
「優しさと生命力で橋を架ける」という「Emerge Music」の理念のもと、何を成し遂げ、どんな未来を描いているのか。その哲学を語ってもらった。
INDEX
ライブハウス立ち上げのきっかけは、日本の漫画と東京で見た景色
ーまずは1999年にレコード会社を設立したそうですが、その経緯から教えてください。
Nuno:1990年よりも前の台湾は、ライブハウスではなく、パブで外国の曲をカバーして歌うのが主流でした。でも1990年代に入ると台北にライブハウスが増えてきて、自分で曲を作るシンガーソングライターが出始めました。

Nuno:自分も兵役が終わり、最初はパブで歌っていましたが、オリジナル曲をやる台湾のバンドに刺激を受けて、インディーズバンドで活動を始めました。
バンド活動を通じて、外国の友達が増え、海外のいい曲を台湾に持ち込んで、みんなに聴かせるのも楽しいのではと思い、前身となるレコード会社「GAMAA MUSIC」を作ったんです。
ーもともとNunoさんご自身もバンドをやられてたんですね。
Nuno:私はずっとメタルバンドをやっていました。1980年代から1990年代にかけて、Guns N’ RosesやBon Joviが台湾にも入ってきて、その後はX JAPANやLUNA SEAといった日本のバンドに影響を受けましたね。
ーレコード会社の設立から2年後、2001年には台中にライブハウス「老諾 Live House」をオープンしています。
Nuno:2000年代に入り、台湾ではCD不況が訪れる一方、台北ではライブハウスが増えていきました。ちょうどその頃に初めて日本に行って、渋谷や新宿など、街にライブハウスがたくさん集まっているがあることに衝撃を受けたんです。
また、日本はどこも活気があり、みんなが楽器を持って歩き、バンドマンが自作のチラシを配っている。その光景は『20世紀少年』『BECK』デトロイト・メタル・シティ(DMC)』などの日本の漫画で見た通りでした。
そういったこともあって、台湾にもライブハウスの時代が来るから、中南部にも1つ拠点が必要だと思い、台中に、台北以外の一番最初のライブハウスとして「老諾 Live House」を作ったんです。

ー台中でライブハウスを根付かせるのは大変だったと思いますが、当時の苦労や、逆に軌道に乗ったタイミングを教えてください。
Nuno:最初は間違いなく苦しかったです(笑)。エンジニアという安定した仕事を捨てて音楽の道へ進んだので、家族は大反対でしたね。
ライブハウスに隠れて住んでいるような状態で、家にも帰れませんでしたし、お金もなかったので、ライブハウスの下にあるお店の店員と仲良くなり、廃棄される食べ物をこっそり分けてもらって食いつないでいました(笑)。

ーやはり苦労されたんですね。
Nuno:貧乏な生活が長かったですけど、当時の台中は他にライブハウスがなくて、ライブを観るためにはみんな私たちのところに来るしかなかったので、ある意味では楽でした。
実は私のライブハウスの最初の出演者がFire EX.(滅火器)だったんですけど、最初のライブはお客さんが2〜3人しかいませんでしたね(笑)。
ーFire EX.は今では日本でも知っている人が多いバンドですけど、彼らの初期の活動はNunoさんが支えていたわけですね。
Nuno:2010年くらいになるとライブハウスが流行り、商売として軌道に乗ってきて。「老諾 Live House」は小さかったので、次に1000人規模のライブハウスを作る計画をしていたんです。
ただ、そんな中で2011年に台中のクラブで悲惨な火災事故(※)が起き、たくさんの人が亡くなって、政府の規制で全てのライブハウスやクラブが摘発、閉鎖されました。
※2011年、台中市のナイトクラブ「ジャックダニエル」で火災が起き、店内にいた客やアルバイトの学生9人が死亡、12人がけがを負った
この苦境から立ち上がるために、ライブハウスという箱から飛び出して、屋外での音楽フェスへと舵を切ることにしたんです。