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2025年アート振り返り③:望月桂やヒルマから考える、美術が向き合うべき「大衆」

2026.2.5

#ART

2025年のアートシーンをライター、批評家、キュレーターが語る座談会。ライター、ラッパー、アーティストとして、多岐に渡り活動する中島晴矢が進行を務め、『美術手帖』『Tokyo Art Beat』などの美術誌で執筆や編集を行うアートライターの杉原環樹、2023年まで森美術館でアシスタントを務め、横断的なキュレーションに関心を寄せるインディペンデントキュレーターの池田佳穂、元横浜美術館の学芸員で批評家の南島興の4名が参加した。

今回の座談会では、2025年のアートシーンを大きく3つのテーマに分けて議論する。1つ目は「2025年の印象的な展覧会・芸術祭」を、2つ目は「戦後80年と『万博』」を振り返った。最終回となる本稿では、3つ目のテーマ「同時代性・インディペンデント」を取り上げる。多様性の尊重を掲げるも、理想通りにはいかない現実を目の当たりにし、「文化左翼」やリベラルのあり方に疑問が生じた2025年。この混迷の時代において、アートは果たして社会に何をもたらし得るのか。2026年以降のアートのあり方を含め議論する。

『望月桂 自由を扶くひと』展

中島:3つ目のテーマは「同時代性・インディペンデント」です。まず挙げるのは、原爆の図 丸木美術館で開催された『望月桂 自由を扶くひと』展。これはアーティストや研究者が一緒になって、望月桂という今まであまり回顧されてこなかった大正期の作家を、ものすごい量の資料と研究で掘り下げて持ち上げてきたという意味ですごく貴重でした。大正の政治的状況、あるいはそれに対するアーティストのアクションって、令和の日本の状況からして学ぶことがあるなという感じがします。池田さんもこの展示を挙げていらっしゃいましたよね。

『望月桂 自由を扶くひと』 / 原爆の図 丸木美術館

池田:インドネシアのルアンルバが芸術監督を務めた『ドクメンタ15』以降、相互扶助や生活と芸術実践の結びつきが再び注目を浴びている中で、望月桂についてより多くの人たちに知ってほしいと思って挙げました。今は若い世代を中心に、コレクティブ論など国外における実践を輸入しがちな意識があるんですけど、自分たちの暮らしている土地にも、実は大正時代に同様の実践があったということを知ってほしいと、展示を観た時に思ったんです。あとは貴重な資料展示だけでなく、現代アーティストたちによる展示の監修や、映像の制作など、望月桂を再解釈して現代の視点から大正期の前衛を捉え直すのも、アプローチとしてすごく面白いなと思いました。

中島:僕は『遠眼鏡』や『製糸工場(女工)』といった望月桂の絵画自体が極めて危険であると考えています。絵画的にはファシズムに寄っていった未来派の影響を受けているのに、主題としてはそれとは真逆のアナーキズムを標榜している、そのねじれがすごく面白い。なので、『遠眼鏡』という作品をしっかり展示できたというのはすごいことなんです。それはやっぱり丸木美術館という、独立していて原爆の図というものを抱える美術館だからこそ公開できたんだろうなという気がしています。実際、他の美術館ではほとんど断られて、丸木美術館しかやる場所がなかったというのも聞きましたしね。

左に展示されている作品が『遠眼鏡』 / 『望月桂 自由を扶くひと』展示風景 / 原爆の図 丸木美術館

南島:本展は、望月桂が最も輝きを放った大正時代だけではなく、戦後に高校の教師となり、のどかな自然の風景を描く田舎の画家になっていったというところまで観せたことが重要だと思っています。というのも、彼に限らず、今の視点から見た時に大正時代の作家が輝いて見えるのは、戦争によって何かが失われたという潜在的な感覚があるからではないでしょうか。なので戦争のあとに彼が何を残しているのかまで含めて評価することが適切だと考えていますし、そこまで観れたことがよかったなと思いました。

『ヒルマ・アフ・クリント展』

杉原:僕は話題になった東京国立近代美術館『ヒルマ・アフ・クリント展』に、すごく歴史的な反復性を感じることがあって。ヒルマは交霊術とか、今で言うスピリチュアリティに触れるような活動をしていた人ですけど、2025年の10月にソウル市立美術館で観た『ソウル・メディアシティ・ビエンナーレ』のテーマも、まさに「交霊会」だったんですね。「e-flux」(※)の創設者としても知られるアントン・ヴィドクルがディレクターの1人で、スピリチュアリティみたいなものがここでも取り上げられてるんだということが印象的だったんです。

※アーティストであるアントン・ヴィドクルらによって創設された、オンラインのアートプラットフォーム

杉原:大正から昭和初期の頃を振り返ると、前衛美術家たちが労働の問題を扱うプロレタリア芸術に傾倒するのと並行して、シュルレアリスムのような夢や無意識の世界に目を向ける芸術も台頭してくるということが、おそらく歴史的に言えると思います。この5年くらいは美術の世界でもケアの分野に注目が集まった時代でしたが、そうした中である種の社会性や理屈にとらわれない領域を求める動きもまた現れているのかなと感じたり。あくまでも、妄想に過ぎないのですが。

スピリチュアルとか、1話目で南島さんが言った『ライシテからみるフランス美術—信仰の光と理性の光』展(アート振り返り座談会①を参照)のように、ある種の宗教性をどう考えるか、理性で回収できない領域をどう扱うのかは、今後重要になってくる予感がしています。

中島:酷薄なリアリズムがどんどんと広がる中で、イマジナリーなものに救いを求めている感じがしますよね。YouTuberでも今一番儲かっているのは心霊の話をする人たちらしいですから。

南島:僕も『ライシテ』展を観た時にヒルマ・アフ・クリントのことを思い出しました。またシュルレアリスムでいうと、ミヅマアートギャラリーでやっていた『MAD IMAGE』展出品作家の息継ぎさんを挙げられればと思います。息継ぎさんの作品には、戦中 / 戦後のシュルレアリスムと実存主義的ムードの奇妙な結びつきに似たものを感じて、歴史的な視点から興味を持ちました。他にも似た事例がいくつかあるので、それらを同時代現象としてみることもできるかもしれません。

『daitai art map』

中島:『万博』も含めて、美術界がアーティスト / 批評家 / キュレーター / ギャラリストも含めて大衆とどう向き合うかということが、僕の中では、2025年の問題意識かなと思っていますね。そんな中で、梅津庸一さんが主催する『パープルーム』がダイエー海老名店にオープンしたというのはやっぱり挑戦的で面白かったと思っています。梅津さんがずっとやっているのは制度批判で、ギャラリーや美術館がすごくハイカルチャーになったというか、天王洲や六本木界隈のギャラリー業界もお金持ちしか相手にしていないじゃないか、というわけです。

中島:大衆にどう向き合うかということを常に考えている人なので、これからの展開もまた追っていきたいと思います。それとちょっと繋がるかもしれませんが、池田さんも関わられた『daitai art map』。こちらはいかがでしたか?

池田:『daitai art map』は「大体」と「代替」をかけた名前になっていて、アート制作や展示活動している団体だけではない、ざっくりと「だいたい」の文化活動を含んだマップになっています。文化的な自治区を自分たちで作っている集団もマッピング対象でした。各地からリサーチャーを招聘してそれぞれの視点で選んでいただくんですが、それでマップが完成するわけではなく、1つのプラットフォームとして時間をかけてどんどん追加していこうという、アバウトな要素を含んでいることも特徴だと思います。

『daitai art map』(サイトを見る) / 提供:daitai art map事務局提供

中島:非常に現代的な問題だと思いますが、最初にローンチされた時に、恣意的な判断がなされているように見えることに批判が出ただろうなと思ったんですよ。「なんでここが載っていて、ここは載ってないんだ」と。

池田:「マップ」というと情報が網羅されているイメージがあるんですが、どちらかというと多声的なインデックスに近いかなと。発起人であるChim↑Pom from Smappa!Groupの卯城竜太さんとしても、どこに独自性があるのか、それぞれのリサーチャーの視点で書いてほしいという意図があったようで。

杉原:最初のローンチイベントに取材で行ったんですが、全国から集まったリサーチャーから「民藝運動に似ている」という話があって、一部批判を含んでいると感じました。要するに、卯城さんのようなある種の審美眼を持った人がリサーチャーを選び、その人が対象を選ぶといった構図になっていて、そこに中心性を感じないこともない。卯城さんはじめみなさん自覚的に話されていましたが、最初のイベントは東京で開かれているので、これをどんどん色々な場所で開催し、いかに脱中心化できるかが1個の鍵なのかなと思います。それで言えば、今回の2025年を振り返る座談会も東京ベースの人たちだけでやっているので、同様の実践が必要になってくると思っています。

「ニューイヤー」である2026年に、美術界が向き合うべき大衆とは

南島:2025年は『万博』の影響で、文字通り建築界は大衆に向き合った1年だったはずです。そのサバイブ術から学ぶべきことはたくさんあると思います。特にSNSでの発信に関しては、『あいちトリエンナーレ2019』「表現の不自由展」のネット炎上のようなトラウマもあり、美術界はかなりセンシティブになっていた気がします。それをもう少し開いていく方法を探っていきたいところです。美術館での経験も踏まえて個人的に思うのは、ネットならではの多様性もあれば、現場ならではの多様性もあるということです。自分ならこの2つをどう繋ぎ合わせることができるかな、と最近は考えています。

杉原:ある種、若い人たちにアクチュアルに届く言葉や場みたいなものを自分たちはセッティングできてないという危機感は、美術メディアの内部の人間たちには結構ある気がします。少なくとも、僕はこの数年、それをひしひし感じています。大衆というか、すごくコアなファン以外に届く場をいかに作れるかみたいなことは考えますね。

中島:2025年を1つの区切りとして捉えたときに、2010年代から続いていた、政治哲学者であるリチャード・ローティの言う「文化左翼」みたいな今までのモードが明らかに大衆に通用しなくなっている、ズレてしまっているということを美術界は自覚すべきだと思っていて。この分断と紛争の時代に、2010年代までの左翼活動やリベラリズムはいわばオールドリベラルになってしまった。2026年以降はそれを乗り越えるモデルをみんな本気で模索すべき段階に入っていると思っています。

南島:一応、2025年は昭和100年でした。2026年は、昭和の日本を象徴する1964年『東京オリンピック・1970年の大阪万博』の反復として行われた『東京オリンピック』や『万博』が終わった次の年でもあるので、その蓄積を踏まえて、ある意味では新しく何かを始められるニューイヤーだと言えるかもしれません。

ー「文化左翼」という言葉について、もう少し詳しくお聞きしてもよいでしょうか。

中島:「文化左翼」はリチャード・ローティの言葉で、社会を実際に改良していく左翼ではなく、文化的なポストモダニズムをベースに、記号操作をしている左翼のことを指します。ここ5、6年、2010年代後半からずっとポリティカルコレクトネスやDEI推進が続いてきている。題目としては立派なことなんだけど、少なくともこれまでのやり方はあまりにも独善的だったり、すごく恣意的だったりする部分が強くて、ダブルスタンダードを隠せなくなってきていて。もう大衆レベルでは通用しなくなっているという感覚があるんですね。

杉原:政治に引き付けて言うと、高市政権やトランプ政権の支持率が結構高いのをどう捉えるか、ということかもしれません。表現の世界にいる人たちは、これらの政権に批判的な人が多いと感じますが、そこで共有し合っている空気と、世間が持っている空気がどうやら違うらしいぞというのが数字的にも表れてきている。この状況をどう見ていくか。そういう意味でも2026年は注目の年かもしれないですね、アメリカの中間選挙もあるし。2025年はアートというより政治の状況自体が想像の斜め上を行っていて、良くも悪くも目を離せない感じはありました。

中島:池田さんは海外での活動も多いかと思いますが、2025年を踏まえて今後の動きはどのようになっていくと考えていますか?

池田:2025年に私が注目していたのは、アーティストが主導するプロジェクトや作品ではなく、例えば「集団」そのもの、いわゆるアーティストコレクティブだけではなく市民活動を含めた実践が芸術祭や展覧会に登場し始めたという点ですね。『ドクメンタ15』などで紹介されてきた出店形式が国内で増えてきた印象があります。例えば、『六本木クロッシング2025展』にも参加している山形のコレクティブ「アメフラシ」は、自分たちの活動を「市民アトリエ」と位置付け、長年にわたって取り組みを続けています。もしかすると、こうした市民活動を含む実績の紹介が美術館で今後増えていくのかもしれないというのは、2026年に期待するところです。

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