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『ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山城知佳子×志賀理江子 漂着』
杉原:次に挙げたいのは、アーティゾン美術館で開催されている『ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山城知佳子×志賀理江子 漂着』です。山城さんは沖縄を拠点に、志賀さんは宮城を拠点に東北で活動されてきた方です。2人に共通するテーマとしては、いわゆる中央と周縁とされる地域の関係や、戦争や震災のような災禍と個人の記憶、原発事故などを含む近代の影といった視点ががあると思います。

杉原:テーマの重なりも興味深いのですが、個人的にはその内容を見せるためのインスタレーションの巧みさ、迫力に圧倒されました。山城さんの展示自体は『Recalling(s)』というタイトルで、日本語だと「思い出す」といった意味ですが、お父様の記憶を起点に、視覚的な断片性と音の飛び交いが豊かな体験を作り出していて。4つのスクリーンが部屋の4方向に配置され、その間に無数の垂れ幕が下がっているため、視覚的にすべてを捉えきれない、けれど頭上を人々の声や音楽が飛び交うような構造が印象的でした。
志賀さんの展示会場では、壁全体が大きく蛇行していて、無数の言葉や写真が境目なく、絵巻のように配置されています。作品の出発点は、志賀さんが宮城県ですれ違ったデコトラが掲げていた「なぬもかぬも」という言葉——「何でもかんでも」という意味の方言だそうで。そしてその空間にはずっとカエルの鳴き声が響いていて、異界との境界を感じさせる一角があったりと、自分が街中にいることを忘れるような、闇や大きなものを前に足がすくむような体験の場が立ち上がっていました。




杉原:まだ言葉が追いつかないんですが、志賀さんがたびたび使っている言い方を借りるなら、お二人の展示とも、色々な視点が鑑賞者である自分の中にこだまして「乱反射」しているという表現がしっくりくるかもしれない。この経験の質感は、子どもたちとの記憶を絵と言葉で見事に展開していた、先ほどの弓指さんの『4年2組』展と僕の中では通じていました。
中島:色々な人の声もポリフォニックに響いているんだ。ご覧になった南島さんはどうでしたか?
南島:志賀さんは、大きく出力した写真に手書きで取材記録などを書き記していく形式の作品を、2024年の『横浜トリエンナーレ』でも制作されていました。字を書くことは単に情報を伝えるだけではなく、ある出来事を自分の内側に刻んでいくためのパフォーマンスや儀式的な側面もあるのかなと感じていたのですが、今回の展示ではその極みみたいなものが観られたと思います。テキストを読みながら展示会場を進むと、場の磁場のようなものにどんどん引きずり込まれていく感覚がありました。

中島:僕の生徒もこの展示を観ていて、2時間くらい授業に遅れてきたんですよね。ハードだったらしくて、がっつり食らってすごく思いつめた表情で遅れてきたんで、僕も観に行かなきゃなと思っていました。
池田:私もまだ観れていないのですが、とある写真作家も、この展示を観てすごく食らっていました。「写真作家でもあれくらいインスタレーション展開を考えて、空間的に支配することができるのか」と悩み始めていて。志賀さんのような演出の仕方は、今後写真家たちが自分たちの作品を見せる上での選択肢になりそうだなと想像していました。