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DJの始まり。16歳で「聴く」側から「鳴らす」側へ
DJを始めると、徐々にクラブでプレイをしたい気持ちが芽生えた彼は、普及し始めたネットコミュニティでその情報をかき集めた。
KM:clubberiaってあるじゃないですか。DJを始めてからあそこの掲示板に書き込んで、どうやってクラブに行くのかを聞いたりしてましたね。それでゲストを取ってもらってクラブに行くようになったんです。まだ15歳とかそれくらいだったかな。家から恵比寿や六本木は自転車で行けたんで。

渋谷にCISCOをはじめとしたレコ村が存在し「年確(年齢確認)」が厳しくなかった時代の話だ。そうした時代の中で、KMは次第に「聴く側」から「鳴らす側」へと歩みを進めていく。
KMがプロのDJとなった夜──それは「先輩が飛んだ夜」だった。六本木のクラブイベントへ遊びに行くようになると、先輩DJと知り合った。もともとクラブやディスコのDJは徒弟制度のような側面が強かった。先輩DJに連れられ西麻布の老舗にも出入りするようになる。
KM:レコ持ちをしていて、先輩の選曲をメモったりしながら勉強をしていたんです。ある日、いつも通り行ったら先輩がいないんですよ。飛んじゃってて。「普段からいつでも回せる準備はしておけ」って言われてCDをたくさん持ってたので、一晩回すことができた。そのときにもらった初のDJのギャラが2000円。めちゃくちゃ嬉しかった。今でもすごく覚えてます。
それまではノルマがあり、ギャラというギャラをもらったことがなかった。だが16歳にしてDJブースに立ち、客をロックする。一見華やかに見えるそのキャリアの裏には、過酷な現実があった。
KM:今振り返ると、とにかくパワハラがひどかった。オーナーの機嫌が悪いと、DJをしててもグラスが飛んでくる。それを避けながらプレイしてました(笑)。あとは、勢い余って前歯を折られたりもしていましたね。

KMはこういったエピソードを「愛のある指導」だったと回想する。理不尽が横行していた時代の、生々しい現実だ。このときの経験をKMは曲にしている。
よく言われたよお前じゃ無理だ
“Lost 2(Ftheworld)”より
詰められたバーカンの裏側
前歯も折られた
KM:泣きながらDJしてましたからね。でも最終的には一目置いてくれて。めちゃくちゃ詰められた翌日も普通にDJしに行ってたし。技術よりも気合い重視の、問題の多い時代でした。今の若い子には絶対におすすめできないですけど(笑)。
まるで笑い話のように回想するが、当時は地獄のような日々だったことは想像に難くない。今はそれを「通過点」として受け止めているように聞こえた。なにせその先輩たちとはいまだに繋がっていると言うのだから。しかし、そのつらい日々を耐えながら、大学に進学してもDJを続けた。子どもも授かった。気がつけば24歳になっていた。
KM:慌てて就職して、それが内装の会社でした。それでも、週末の夜はDJを続けてたんです。リミックスを作ってはSoundCloudにアップしていたら、今の『POP YOURS』のラインナップを組んでいる人が声をかけてくれて。それまでDJの人脈しかなかったのが、イベントを作る人ともつながった。DJする場所も違うシーンに変わっていったんです。
そしてKMは重大な決断をする。
KM:1回曲作りにチャレンジして、音楽を極めようと思って、会社を辞めました。それが26歳くらいですね。