INDEX
クオリッチとヴァラン、「悪」の複雑性
暴力の炎は、次なる暴力をいかにして招くのか。この点でもっとも興味深いのが、物語上は悪役であるクオリッチとヴァランだ。
過去作では軍事的な暴力と帝国主義をわかりやすく体現してきたクオリッチだが、本作ではこれをはっきりと逸脱。スパイダーに愛情を抱く父親として、また人類軍の使命に取りつかれた亡霊としての意味合いをはらんだ、非常に複雑なキャラクターとして再登場する。

今でもナヴィの共同体を冷酷に破壊しつづけるクオリッチも、別の局面では息子を愛し、思いやる父親だ。それゆえにこそ、暴力の連鎖は複雑なものに変質する。ジェイクや子どもたちも愛してやまないスパイダーの存在が、戦争と暴力における「敵か味方か」「侵略か復讐か」の境目をとことん曖昧にするからだ。スパイダーを間に挟んだとき、ジェイクとクオリッチの関係は劇的に変化する。
けれども同時に、暴力には人を惹きつける魅力が確実にある。これを象徴するのが、もはや憎しみの所在さえ曖昧にみえるヴァランの存在だ。集団的トラウマを経て、怒りと憎しみに突き動かされているヴァランの暴力は理性の制御をまったく受けない。彼女が抱いているのは暴力のための暴力、憎しみのための憎しみ──本質的に暴力がはらむ快楽性である。

このことを明示するのは、ヴァランとクオリッチが手を結ぶ小屋のシーンだろう。クオリッチはヴァランによって幻惑され、ほとんどトリップするような形でヴァランの快楽的な暴力の世界に飛び込んでいき、のちに二人の間には性的関係さえも示唆される。過去作になかった「暗い快楽」は、シリーズの世界観やビジュアルを拡張するだけでなく、広義の暴力が人々を刺激し、また陶酔させる、現代のSNSや社会情勢にも共鳴するものだ。
快楽性によって増長した暴力を、いかに人は止めることができるのか。人間の理性は、暴力の誘惑に抗えるか。ジェイクとクオリッチが対峙するラストの決戦は、まさにこうした問いかけへの応答となっている。

ちなみにキャメロンがこだわり続ける映像表現は、こうした暴力の複雑性と新たな化学反応をさらに増強するものだ。来日時のインタビューで、キャメロンはこのようにも語っている。
「私が3D映画を作るのは、人類が2つの眼球による立体視を選択したから。立体視は脳の視覚野を駆動させる──人は3Dを目ではなく脳で見ているのです。そのとき、人の思考はより活発になる。全身と五感で没入する映画体験がより増強されることになります」
ジェームズ・キャメロンインタビューより
『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』は、シリーズの主題を変えるのではなく、より複雑な人物造形と心理表現、そして新たに開拓された作風的・映像的境地を、洗練された表現によって更新した。シリーズは5部作構想だが、キャメロンはここまでの物語を3部作として捉えているとのこと。今ここが、長年にわたる実験と創作の「ひとまずの」到達点である。
『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』

12月19日(金)日米同時公開
出演:サム・ワーシントン、ゾーイ・サルダナ、シガニー・ウィーバー、ウーナ・チャップリンほか
監督・製作・脚本:ジェームズ・キャメロン
製作:ジョン・ランドー、レイ・サンキーニ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2025 20th Century Studios. All Rights Reserved.
公式サイト:https://www.20thcenturystudios.jp/movies/avatar3