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くすぶり続ける「火」と「灰」
「これは家族が戦争の意味と向き合う物語。子どもたちが戦争に巻き込まれることや、親が子どもを戦場に送り出し、彼らは正しい判断をすると信じることが重要なテーマです」
ジェームズ・キャメロンインタビューより
『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』について、キャメロンはこう語っている。副題「ファイヤー・アンド・アッシュ」とは、「火」が憎しみや怒り、暴力の象徴であり、「灰」がその後に残る喪失の象徴。過去作でも炎はパンドラの自然を焼き払ってきたが、本作では激しい炎や舞い上がる火の粉、降り注ぐ灰といったイメージが頻出する。
もっとも本作では、「火」と「灰」がいかにも大仰な象徴としてではなく、人物の内面でときに燃え上がり、ときにくすぶり続ける感情として表現されている。炎による死と破壊は、人々の心に大きな傷を残してきたのだ。

長男ネテヤムの死を克服できずにいる母親ネイティリは、その死を招いた宿敵であるクオリッチ大佐の息子であるスパイダーが、いまもなお自分の家族と生活していることを許せずにいる。ナヴィではなく、人間であるスパイダーの肌の色が憎い。今すぐに家族から追放したい、自分の目が届かない場所に追いやりたいと願っている。
新たな脅威であるアッシュ族のリーダー、ヴァランの内面にも「火」と「灰」がある。火山の噴火によって故郷を焼かれ、仲間を失ったヴァランは、パンドラにおいて神のように崇拝されている精霊エイワへの絶望がある。なぜエイワは、私たちアッシュ族を救わなかったのか? その憎しみが、同胞であるナヴィに対する暴力へと彼女を駆り立てる。

そこに重なるのが、人類にとっての「裏切り者」であるジェイクを執念深く追いかけるクオリッチだ。言うまでもなく、クオリッチの中でも「火」と「灰」がくすぶり続けている。
『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』では、こうした人物の心理表現に映像の粋が注がれている。第1作から研究開発が重ねられてきたパフォーマンス・キャプチャーは、俳優たちの繊細な演技──すなわち、ささやかな挙動やわずかな表情の動きをとらえ、CGで描かれるキャラクターのなかで巧みに強調し、その感情を観客にしっかりと届けるのだ。

キャメロン自身は『アバター』シリーズを「アニメーションではない」とたびたび語っているが、ここで採用されている「強調」の手法はアニメーションに近いものだ。そして、それこそが本作の心理ドラマに大いに貢献した。