『アバター』シリーズは、単なるSF大作でも、自然賛歌のファンタジーでもなかった。ジェームズ・キャメロンが一貫して描いてきたのは、暴力がいかにして生まれ、引き継がれ、正当化されてしまうのかという問いである。
シリーズ第3作となる『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』は、その問いをこれまで以上に登場人物の感情へと引き寄せ、怒りや憎しみ、そして快楽にまで踏み込んだ作品だ。
壮大な世界観の只中で、人はなぜ暴力に惹かれてしまうのか──本作は全5部作構想の『アバター』という物語の折り返し地点で、その核心を露わにする。
※本記事には映画の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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これまで『アバター』シリーズが描いてきたものとは?
巨匠ジェームズ・キャメロン監督率いる、『アバター』シリーズの脚本家たちが5部作のシナリオを完成させたのは2017年のこと。映画『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』は壮大な物語の折り返しにして、10年近い時間を経て、現代の生々しい暴力にもっとも接近した一本だ。
上映時間3時間17分、『アバター』シリーズ史上最長の本作で、キャメロンは地球から遠く離れた惑星パンドラの壮大な世界観とスペクタクルはそのままに、過去2作とは異なる方向へと足を踏み出している。来日時のインタビューで、キャメロンはこう語ったのだ。
「過去作ではアクションをたっぷりと用意しましたが、本作はさほどアクションは多くないと思っています。むしろ、さりげなく親密で、エモーショナルなシーンを増やしました」
ジェームズ・キャメロンインタビューより
この言葉通り、本作で最も印象深いのは登場人物の「感情」そのものだ。もともと前作『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(2022年)と本作は1本の映画として構想されていたが、ボリュームの都合から2本の映画に分割された。したがって本作は、物語のテーマを刷新するよりも、感情を掘り下げることでシリーズの新たな局面を切り拓こうとしている。
そもそもキャメロンが描いてきたのは、惑星パンドラの先住民族ナヴィと、惑星の支配を目論む人類(スカイ・ピープル)が繰り広げる荒唐無稽なアクション活劇ではなかった。第1作『アバター』(2009年)では、元海兵隊員のジェイク・サリーが資源採掘のため派遣されたパンドラで、森に生きるオマティカヤ族と出会い、軍事や企業の論理を逸脱し、パンドラの文化やナヴィの価値観を学び、共同体の一員となるまでの物語だったのだ。
続編『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(2022年)で、ジェイクはオマティカヤ族の女性ネイティリと家族を持ち、子どもをもうける。再び侵略のため現れた人類から逃れるべく、一家は海の民族メトカイナ族へ身を寄せた。利益のために海洋生物トゥルクンを狩る人類を、ジェイクとナヴィの人々は再び撃退したのである。
植民地化や資本主義を目的とする人類の侵略行為は、たやすく暴力の連鎖へ転じ、新たな悲劇を生む──。「家族こそが砦」と宣言するサリー家にもまた、決定的な喪失がもたらされた。愛する者を守るための戦いが、最愛の長男ネテヤムの死を招いたのである。