曽我部恵一の創作意欲は一向に衰える気配を見せない。
2025年だけでもサニーデイ・サービスの新作『サニービート』、ソロでは全32曲を収めたアルバム『パイナップル・ロック』だけでなく、『永い夜 (2024 Version) CRZKNY Remix』、『オーロラEP』、『Summer Song』といった作品を続々とリリース。10月には1995年に発表されたサニーデイ・サービスの名作『若者たち』が復刻され、その瑞々しい歌の世界に再び注目が集まっている。
過去33年間の活動で発表された楽曲は実に700曲以上。未発表曲も含めると、その曲数は膨大なものとなるだろう。
町田市民文学館ことばらんどで12月21日(日)まで開催されている『サニーデイ・サービス 曽我部恵一展 Lovers of words』は、曽我部恵一がこれまで綴ってきた「ことば」に着目した展覧会だ。本展のイントロダクションにおいて曽我部自身が「僕の場合、曲うんぬんよりも、言葉が良ければOKなんですよ」と語っているように、曽我部恵一の表現の軸には常に言葉があった。
そんな本展を作家の桜井鈴茂が体感し、詩人としての曽我部恵一の魅力を語ってもらった。過去には桜井の作家デビュー作『アレルヤ』の帯文を曽我部が執筆したほか、曽我部のソロ曲“Yeah Yeah”(2020年)の作詞を桜井が手がけるなど、その交流は公私に渡る。
曽我部恵一の表現の根幹に迫る前例のない展覧会を入り口に、規格外の詩人による言葉の宇宙に足を踏み入れてみよう。
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1968年生まれ、北海道出身。明治学院大学社会学部卒業。同志社大学大学院商学研究科中退。バイク便ライダー、カフェ店員、郵便配達員、スナックのボーイ、小料理屋店長、水道検針員など、さまざまな職を経たのちに、『アレルヤ』(朝日新聞社:2002年、双葉文庫:2010年)で『第13回朝日新人文学賞』を受賞。現在は文筆業の傍ら、学芸大学駅から徒歩5分ほどの場所にある飲食店「Low Alcoholic Cafe MARUKU」を営む。
曽我部恵一の創作のスピード感、すべてを曝け出す強さ
―桜井さんが初めて曽我部さんと出会ったのはいつごろでしたか。
桜井:1998年の12月、京都のバーでたまたま隣り合って飲んだことがあるんですよ。僕はそのころ小料理屋の雇われ店長をやってて、仕事終わりに友人と飲んでたんですけど、そこに曽我部くんがやってきたんです。声をかけて話してみたら妙に盛り上がってね。そして、翌日の神戸チキンジョージでのサニーデイのライブに招いてくれました。それが最初の出会いです。
―桜井さんの作家デビュー作『アレルヤ』(2002年)の帯文を曽我部さんが書かれていますよね。
桜井:そうですね。京都で会ってから3年ぐらいブランクがあるんですけど、僕がその間に小説を書くことになって。『朝日新人文学賞』をもらって、その単行本化が決まったとき、帯文を曽我部くんに書いてもらおうと思ったんです。
当時、曽我部くんは三宿のクラブ「Web」で月1回DJをやっていたので、会いに行ったんですよ。忘れてるかもと思ったんだけど、会うなり「おー、久しぶり!」と言ってくれて。そこから交流が本格的に始まりました。

―桜井さんご自身、曽我部さんからどのような影響や刺激を受けてきたのでしょうか。
桜井:やっぱり創作に向かう姿勢ですよね。自分が見ている世界や社会の様子、自分が体験したものなどすべてを作品に昇華していくその姿勢に一番影響を受けたかもしれない。
「あれ、よかったよね」なんて話をしていたら、それが次のアルバムのフレーズになっていたりね。2002年ぐらいからはよく一緒に飲むようになったんですけど、飲みの場でも「曽我部くんは本当にアーティストとして生きてるんだ」という感じがしました。

―曽我部さんは音楽や映画から受けた影響を作品に反映するスピードがすごく早い印象があります。
桜井:確かにそのスピードは早いかもしれない。僕は遅いんです。ダイアリー的には作品を書いていないので、ゆっくり煮詰めて精製してからじゃないと反映できない。僕はそのあたり、いいかっこしいなのかも。自分のことを曝け出すのが嫌で、だからこそ寡作になっちゃうんです。
―曽我部さんはどんどん曝け出していきますよね。
桜井:そうそう。隠さずに出していきますよね。すべてを曝け出す強さがあるということだと思います。自分とは違うタイプだからこそ、刺激を受けるんだろうね。
