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リメイクで掘り下げられた現代的なテーマ
ある男女が劇的に恋に落ちて結婚するも、徐々に二人の間に暗雲が立ち込め、最終的に破局的な展開に至るという物語は、デヴィートの『ローズ家の戦争』と同様の構造を持っている。そうした悲劇的な展開の反面で、随所にコミカルな台詞や演出が敷かれているという点も、両者は重なり合っている。
一方で、今回の『ローズ家〜崖っぷちの夫婦〜』では、旧版ではそれほどまで深く掘り下げられていなかった部分が、大胆に敷衍されていることに気づく。最も印象深いの点は、現代の結婚生活における男女の役割と、それにまつわるアイデンティティ追求の問題に触れていることだ。旧版でも、キャスリン・ターナー演じる妻が得意の料理を活かしてビジネスを興そうとし、マイケル・ダグラス演じる夫に適当にあしらわれる下りが描かれていたが、今作では、そうした「仕事と家庭」の問題や、この間の一般的な夫婦間の力関係の変化が、ごく象徴的な形で主題化されている。仕事上の大失態を経て、一応は家事と育児に専念しつつも建築家としての成功を諦めきれないテオが、あれよあれよという間に社会的な成功を手にしていくアイビーに対して歪な感情を積もらせる様や、更には、その結果として両者のコミュニケーションが破滅していく様は、(一見進歩的にみえる)テオもまた結局のところ旧来の家父長制的な「常識」に囚われつづける存在であることを、実にクリティカルな仕方で描き出している。

加えて、二人はうわべだけは互いを気遣いつつも、心の奥底では決して自らの成功願望を手放すことはできない。ローズ家のような阿鼻叫喚の争いを繰り広げる例は当然稀だとしても、ここで提示されている軋轢に身につまされる思いを持つ現代家庭は決して少なくないだろう。
そういった意味では、(ここへきてにわかに話題となっている)「ワークライフバランス」に関する寓話としても、本作は大変に興味深い。家庭という、本来ならば保守主義者こそが最も重要だと考えているはずの最小コミュニティが持続的に運営されるためには、そこへの参与者が闇雲に「ワーク」ばかりを追い求めるならば、必ずやその試みは失敗する。それどころか、しばしば悲惨な結果を招くことにすらなるのだ。
ワークforライフか。それとも、ライフforワークか。テオとアイビーの二人は、そういう単純な二者択一を「大人として」選択しようともがくが、その実、そうした択一的な構図こそが、資本主義社会が必然として要請するなにものかであることには気付けない。二人は、お互いが抱えるストレスの原因が、本当はもっと家庭の外にこそ根を持っているのかもしれないということへは思い至らず、他でもないお互いのせいで自らを犠牲にしていると信じてやまないのだ。そう考えれば、なんと悲劇的な「すれ違い」であろうか。
