箱根・ポーラ美術館で『ライアン・ガンダー:ユー・コンプリート・ミー』展が開催されている。多様な表現形態を用いたシニカルでユーモラスな作風で知られる作家の新作・近作18点に触れるべく、同館を訪ねた。
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道中で感性を洗濯しながら、山の中の美術館へ
ポーラ美術館の展覧会公式サイトを見てみると、ライアン・ガンダー本人の面白い言葉が引用されていた。
アートの目的はコミュニケーションではなく、触媒として曖昧さを提供すること
なるほど、明確な意思の伝達ではなくて、答えの無い謎かけのような「曖昧な何かの提示」こそが彼の作品で、解釈は鑑賞者の中での化学変化に任せる……と、そういうことだろうか。さらにライアン・ガンダーは、自身のことを「特定の様式を持たないアマチュア哲学者」とも表現している。なんだかヘンな人だ。
というわけで、以下はポーラ美術館(神奈川県)にて2025年秋まで開催中の展覧会『ライアン・ガンダー:ユー・コンプリート・ミー』の鑑賞レポートである。

小田原から箱根登山鉄道を乗り継ぐこと約1時間、そこからさらに送迎バスのポールにしがみついて山を登って行く間に、日常からどんどん離れ、メールの返信とかクーポンの使用期限とかゴミの日とか、デイリーな思考が振るい落とされて行くのを感じる。美術館に着く頃には、もうそれだけでちょっと感性が洗濯済みになっているのである。大自然の力、恐るべし。

本展ではライアン・ガンダーの18作品が美術館の内外に自由に散りばめられており、なんとチケット売り場よりも先に、エスカレーター下で主役級の作品がお出迎えをしてくれている(いいのかな?)。下の写真、右奥の観葉植物に注目を!

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しゃべるカエルとの対面

鉢植えをよく見ると、そこには小さなカエルの姿があった。アニマトロニクス(アニマル+エレクトロニクス)と呼ばれる精巧な生物ロボットだ。人工の滑らかな皮膚を持ち、骨格や筋肉を思わせるリアルな動きをする。そしてこの小さなカエルは、そばにしゃがみ込まないと聞こえないくらいの静かなトーンで、私たちに話しかけている。英語で。
ここが非常に悩ましく、且つ展覧会の核心にも触れそうなポイントだが、本展の大きな見所である「語りかけるアニマトロニクス」は、3作品いずれも英語でしゃべる。そりゃそうだ、イギリスから来ているのだ。
会場でもらえる鑑賞ガイド(HPからダウンロードも可能)記載のQRコードを読み込めば、彼らのセリフの日本語参考訳を読むことができる。ならその訳を手元で読みながら話を聞けばいいか……と思いきや、これがびっくりするほど長いのである。しかも内容は自己の内面を見つめさせるもので、集中して読まないと理解が難しい。せっかくカエルが口をパクパクさせ、小首を傾げながら語り掛けているというのに、そちらを見る余裕が生まれない。
鑑賞者の英語がネイティブレベルではない場合、おそらく最もしっかりと作品を味わえるのは「事前に日本語訳を読み込んで内容を掴んでおき、その上でカエルと向き合う」方法だと思う。筆者は覚悟を決めて、レストランでの休憩中に全てのセリフを読み込み、あとでもう一度カエルと対面しに行った。手間ではあるが、どうしても時間をとりたくなるほど、その語りの内容は魅力的だったのだ。

冒頭でカエルは鑑賞者にこう頼む。「今、あなたの額に指でアルファベットのQを書いてみてください」と。詳しくは触れずにおくが、それが一体何? お安い御用さ! と書いたあとに続く気付きは衝撃的で、殴られたように「ガーン」となってしまった。
ちなみにアニマトロニクスたちの声の出演は、ライアン・ガンダーの子どもたちが担当しているという。こんなに示唆的なことを語ってくれるのだから、声優さんか誰かに訳を読んでもらって「日本語吹き替え版」を作ってくれたらもっと受け止めやすいのになぁ。そう思ってから、また自分の思考に「ガーン」とショックを受けた。世界は自分の目の前で繰り広げられるショーではない。向こうがこちらに合わせなければならない理由なんて何ひとつ無い。自分は無意識のうちに、どれほど傲慢でいたのだろうか。怖い……チケット売り場の前にして、すでに涙目である。
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目の前に(物理的に)転がる、巨大な「問い」

会場内にはQ(問い)が文字通り「転がっている」。チケット売り場のあるホールには『Can you be lonely and happy(孤独なまま、幸せでいられるの)?』『Do shadows have sounds(影に音はあるの)?』と名付けられた作品たちが。巨大な黒いバルーンに記された問いは斜めになったりひっくり返ったりしており、読もうとすると自然と首が「はてな?」の角度になってしまう。

作品の周囲に柵などが立てられていないこともあり、会場ではバルーンに吸い寄せられるように近寄り、ムニムニと触れてみる人の姿もちらほら。スタッフさんに触ってもいいかと尋ねると、そこは美術館としては何とも言えないようだ。