酒を飲むことは、特別なイベントじゃなくていい。うまい酒を飲めた、今日もなんとかやっていけた——その積み重ねこそが、人生を支えてくれる。
30年にわたり、酒とつまみ、そして日常のささやかな幸福を描き続けてきた漫画『酒のほそ道』。その作中に散りばめられた言葉を集めた一冊『そこそこでいいんだよ「酒のほそ道」の名言』が、このたび刊行された。本書の刊行を記念し、作者のラズウェル細木、そして名言を選び、それぞれの場面の解説を執筆した酒場ライターのパリッコ、ライターのスズキナオによる鼎談を実施。飲み屋で起こるすべてがネタになる理由、「そこそこ」でいることの心地よさ、そして日々の中で小さな幸せを拾い続けることの確かさについて――酒をめぐる言葉とともに語ってもらった。いく理由が見えてくる。
INDEX
飲み屋で起こることは全てネタになる。(ラズウェル細木)
—『酒のほそ道』は、酒とつまみを愛する主人公・岩間宗達が、晩酌や居酒屋での一杯を通して、ささやかな日常の幸福を味わうグルメ漫画です。肩の力の抜けた宗達のこだわりや言葉も、多くの読者に親しまれてきました。このたび、作中の印象的な言葉を集めた一冊『そこそこでいいんだよ「酒のほそ道」の名言』を刊行されることになった経緯を、ぜひ教えてください。
パリッコ:『酒のほそ道』が30周年を迎えるということで、3人の共通の知人でもあり、この本の担当編集者さんから「なにかできないか」と提案をもらったのがきっかけですね。その時も飲みながら「30周年、すごいですね!」なんて話をしているうちに、ゆるゆると話がまとまっていった気がします。

ラズウェル:そうでしたね。「作中の名言を紹介する本とかどうですか?」と言ってもらったときは「名言なんてあるの?」って作者であるこちらが驚いちゃったんですが、出来上がってみると、名言といえば名言と言えるのかな、と。
スズキ:言えます、言えます。
ラズウェル:パリッコさんと(スズキ)ナオさんのおかげですね。今をときめく二人が解説を書いてくれるなんて僕としては願ったり叶ったりでした。

1956年、山形県生まれ。酒と肴と旅とジャズを愛する飲兵衛な漫画家。代表作『酒のほそ道』は30年続く長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』(婦人生活社)、『う』(講談社)など多数。パリッコ、スズキナオとの共著に『ラズウェル細木の酔いどれ自伝 夕暮れて酒とマンガと人生と』(平凡社)がある。第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。
—パリッコさんとナオさんが、『酒のほそ道』と出会ったのはいつ頃ですか?
パリッコ:え、いつだろう。お酒を飲み始めた大学生の頃くらいには、もうコンビニに置いてあるくらい人気でしたし、ごく自然に手に取って、いつの間にか読んでいました。

1978年、東京都生まれ。酒場ライター。2000年代より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』(スタンド・ブックス)『缶チューハイとベビーカー』(太田出版)『ごりやく酒──神社で一拝、酒場で一杯』(亜紀書房)など多数。ライター・スズキナオとのユニット「酒の穴」、名義をはじめ、共著も多数。
ラズウェル:我々が出会ったのは、2013年頃だったかな。共通の知り合いであるライターさんが「絶対気が合うと思うから」と紹介してくれて。初めて一緒に飲んだ日から、今と変わらない感じで、最初からしっくりきて嬉しかったですね。
スズキ:確か、僕が東京から大阪に引っ越したばかりの頃で、大阪のお店にお連れしたんですよね。「大先生をこんなお店にお連れしていいんだろうか」と緊張していたんですが、いざ飲み始めるとそんな心配はすぐに消えて、ただただ楽しく飲ませてもらえて。もちろん、ラズ(ウェル)先生とこうやってお知り合いになる前から『酒のほそ道』は読んでいましたが、正直言うと熱心な読者ではなかったんです。でも、ラズ先生の人柄を知ってより好きになりました。
パリッコ:僕らが高級店で接待するのもなんかおかしいですしね。ラズ先生は、大衆酒場で起こるちょっとしたハプニングを楽しむ姿勢をお持ちなんです。だから、こういった漫画を描けるんだろうなって思います。

1979年、東京都生まれ。ライター。『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)『家から5分の旅館に泊まる』(太田出版)など著書多数。
ラズウェル:そうそう。飲み屋で起こることは全てネタになるんです。たとえたまにちょっと不快なことが起きたとしても、ネタとしてはおいしい。二人は、そういうネタになる店によく連れて行ってくれるんですよ。頼りにしてます。
大きな感動がなくても、日々の暮らしの中に小さな喜びがあるからなんとかやっていける。(スズキナオ)
—この本をきっかけに『酒のほそ道』と出合った方々に、この漫画の楽しみ方や魅力を教えてください。
パリッコ:20代の頃に、ただその日あったことを記録するだけのブログみたいなのをつけていたんですけど、ある日「今日は『酒のほそ道』を読んだ。面白いけど、ちょっとここは違うと思う」みたいな生意気なことを書いていて(笑)。今思えばかなり失礼なんですが、でもそれこそがこの漫画の楽しみ方なんじゃないかと気づいたんですよね。「主人公の宗達はこうしているけど、自分だったらこうはしないな」と考え始めると、想像がどんどん広がっていくのが魅力というか。
ラズウェル:いいこと言ってくれますねぇ。先日もパリッコさんと一緒に飲んだ時、カラシを付けるか付けないかでもめましたね(笑)。飲んでる時は少しくらい意見がぶつかるほうが面白いような気がするんです。全員がカラシを好きだったらつまらないじゃないですか。どうでもいい話を延々する、その時間を続けたい。その気持ちや感覚を漫画に描いているのかもしれないですね。
スズキ:読んでいると、読者であるこちらも宗達たちの会話に混ざっているような気分になりますよね。美食の先人たちが築き上げてきた美学に対して「そうじゃない楽しみ方もあるんだよ」というメッセージが貫かれている。そこが読んでいて楽しいし、魅力だと思います。今回の名言もそこを基準に選びました。
ラズウェル:そうそう。「そこそこ」なのが大事なんです。そこそこやっていれば、ピリピリした感じにもならないんです。

—タイトルにもある「そこそこでいいんだよ」という言葉につながりますね。みなさんにとって「そこそこ」とは、どのような状態ですか?
パリッコ:若い頃みたいにクラブでオールして、朝まで飲み明かしている状態がある一方で、風邪をひいているのに、半ばやけくそで「もう飲んじゃうか」となる瞬間もありますよね。そこそこ、というのはたぶん、そのちょうど真ん中あたり。無理もしていないし、勢いに任せてもいない。フラットにお酒を飲めている感覚というか。ずっとお酒のたとえになっちゃってますね、僕。
ラズウェル:僕は、居酒屋のつまみみたいな感じかなぁ。居酒屋に洗練さとか究極なおいしさみたいなものは求めてないので。いい寿司屋じゃ絶対に出てこないようなちょっと酸っぱすぎるコハダが出てくる飲み屋っていいじゃないですか。程よいものって平和につながるし、実は幸せなんじゃないかと思ってます。人生にはドラマチックなことも起こるけど、そればっかりじゃ疲れちゃいますから。
スズキ:自分の「そこそこ」は、毎日ちょっとずつ飲めることかもしれません。お金を貯めて、大きな買い物をしたり、旅行に行ったりしてストレスを発散する人もいますが、一度買い物や旅行をしてしまったらまたしばらく何もできないというのが僕は苦手で。大きな感動がなくても、日々の暮らしの中に小さな喜びがあればなんとかやっていける気がするんですよね。そうすると限られた小遣いの中で工夫するようになるんです。安くていい店を探そうとか、閉店間際でセールになっている惣菜を探そうとか。それがまた楽しいんですよね。
パリッコ:ナオさんと一緒にやっている「チェアリング」(※)も、お金をかけずにそこそこ楽しむことの一環ですよね。
※チェアリング:アウトドア用の折りたたみ椅子を好きな場所に置き、そこでお酒を飲むこと。椅子さえあればどこでも酒場になるという考えのもと、パリッコさんとスズキナオさんが命名し、その魅力を発信している。
スズキ:そうですね。そこそこの楽しみを見つけると毎日がだいたい楽しい状態になってきます。毎日をこねくり回して楽しんでやろうみたいな気持ちですね。そうすると大きな感動を得られない日でも、満足して一日を終えられる。
パリッコ:自分にとっての「そこそこ」がわかっていると、ある意味お得かもしれない。
スズキ:宗達も自分なりの小さな幸せを見つけるのがとても上手。なので『酒のほそ道』を読むと、「そこそこ」がしみじみいいものに思えてきますよね。
昔は「とりあえずビール」でしたけど、今はもう好きなものを頼んでいいというのが当たり前。社会に合わせて変わることは大切ですから。(ラズウェル細木)
—実際に宗達みたいな人物がいたら、友人になれると思いますか?
パリッコ:最初は「天邪鬼で面倒なやつだな」と思うかもしれないけど、お酒が進んで酔っ払ったら店を出る頃には肩を組んでいるかもしれない。
ラズウェル:連載を始めた当初はもっと等身大のキャラクターだったんですが、年月を重ねるごとにどんどん個性が芽生えてきました。今は明らかに自分とは異なるキャラクターですね。最初はかましてきそうだから、こちらに元気がないときは付き合ってあげられないかもしれないなぁ。
スズキ:こだわりは強いけど悪い人じゃないから、パリッコさんが言うように話していくうちに打ち解けられそうです。

—連載を30年も続けていると、社会の空気も大きく変わりますよね。社会情勢に合わせて宗達にも変化はありますか?
ラズウェル:宗達は、昔ながらの会社に勤めている設定なので、男尊女卑の意識が完全には抜けきっていないかもしれないけれど、昔と比べるとやわらかくなってきていると思います。作者として、はっきりと男女差別は排除しないといけないと意識しているので。宗達だけじゃなく、僕も意識を更新しないといけないなぁと感じています。昔は「とりあえずビール」でしたけど、今はもう好きなものを頼んでいいというのが当たり前じゃない? 最初はビールを頼まない人がいることに衝撃を受けましたが、今は好きなものを楽しく飲めるのがいいよねって思っています。やっぱりね、社会に合わせて変わることは大切ですから。
スズキ:宗達がスマホでオーダーする回もありましたよね。
ラズウェル:僕も最近やっとできるようになったので(笑)。
パリッコ:注文できたと思ったら、できてなかったとかありますよね。
ラズウェル:オーダーのシステムが店によってバラバラだから、困っちゃうこともありますよね。こうやって環境に合わせて柔軟に変わっていく一方で、飲み方の精神みたいなのは変えたくないとは思っています。
パリッコ:『酒のほそ道』では、とにかく楽しむというスタンスを発信し続けているから、読んだら肩の力が抜けて幸せになれますよね。
我々酒飲みにとっては、今年もいい酒が飲めるというのが、実は一番いいことなんじゃないかって気づかせてもらった。(パリッコ)
—宗達は日々の中で小さな幸せを見つける名人ですよね。みなさんは最近、どんな瞬間に幸せを感じましたか?
パリッコ:普通すぎる答えになっちゃうんですけど、休肝日のあとにお酒を飲む瞬間ですね。休肝日の最中は「なんてつまらない日だ」って思っているんですが、翌日は幸せが倍増します(笑)。
ラズウェル:ビール缶のタブに指をかけるところが幸せのピークかもしれない。プシュっと開けるほんのちょっと前。「やっと飲めるぞ!」って気持ちが高まります。
スズキ:友人たちと飲んでいて、僕がトイレに行ってからその場にまた戻る時に幸せを感じます。自分がいない間に進んでいた話題に「なに?」って入っていくのが嬉しいんですよね。
ラズウェル:ナオさんらしいですね。
スズキ:公園で花見をしている時なんかもそうで、トイレが遠い分、戻るまでに時間がかかるじゃないですか。時間をかけてみんなのところへ戻っていくあの感じが、めちゃくちゃ好きですね。
パリッコ:ナオさんの詩的な回答のあとに言いづらいんですが、冷蔵庫の中にある、前日の残りものを食べるときも幸せですね。温かいごはんの上に冷えた麻婆豆腐をかけて食べると妙においしいんですよ。意図しない冷や熱。
ラズウェル:僕も昔から言ってるんですが、冷たいごはんっていいんですよね。冷たい米ならではの香りが鼻にふっとくる感じが。それに居酒屋のつまみも、冷めてもつまめるのが理想ですよね。
スズキ:宗達が、あえて冷蔵庫で冷やしたつまみを「これがうまいんだよ」ってやっている姿が目に浮かびますね。
—最後に、特に印象の残っている名言を教えてください。
パリッコ:宗達が初詣でお願いする、「今年もいい酒飲めますよーに」ですね。最初はこんなことお願いするなんて少し意地汚いなって思ったんです。でも、体が健康でないとお酒は飲めないし、金銭的にも時間的にも最低限余裕がないと難しい。そう考えると我々酒飲みにとっては、今年もいい酒が飲めるというのが、実は一番いいことなんじゃないかって気づかせてもらったんですよね。

スズキ:「いくらビンボーでも酒は飲まねばならぬ」もいいですよね。「そんなことないだろう」ってツッコミたくなるくらいある意味暴言なんですが、その心意気がいい。

ラズウェル:自分が思いついた言葉のはずなんですが、こうやって改めて読むとハッとさせられますね(笑)。
スズキ:我々が時間をかけてたどりついた考えや遊び方が、すでに『酒のほそ道』には書かれている。読み返すたびに先を行っていると感じます。
『そこそこでいいんだよ「酒のほそ道」の名言』

漫画:ラズウェル細木
選・文/スズキナオ、パリッコ
発売日:2025年12月16日
価格:1,980円
判型:B6判
ページ数:260ページ
出版社ページ:https://www.ohtabooks.com/publish/2025/12/16172759.html