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古山菜の花初インタビュー。肯定でも否定でもなく「存在証明」のために歌う

2025.11.19

#MUSIC

もう既にこの名を知り、その独創的な音楽世界に魅了されている人は多いかもしれない。シンガーソングライターの古山菜の花。YouTubeオーディション番組『音楽深化論』の第二回で優勝を果たし、そのオーディション中に見せたパフォーマンスで多くの音楽ファンを魅了した若き才能だ。

「令和のたま」という異名をとる彼女は、実際に小学生の頃より“さよなら人類”や“オゾンのダンス”などの名曲で知られる、1990年代に一世を風靡したバンド「たま」の熱狂的なファンだという。しかし、その「たま」だけでなく、彼女の口からは他にも様々なアーティストの名前が影響源として出てくるし、そして、様々なエッセンスを見事に自らの内側に血肉化するからこそ、彼女のオリジナリティあふれる音楽は生まれている。

出身は千葉県の八街市。本人曰く、落花生と「やちぼこり」という現象で有名だという街で育った彼女は、一体どんなふうにその感性を磨き、私たちの前に姿を現したのか。その源泉を探るインタビューをお送りする。こうした単独インタビューは初めてだったそうだが、とても真っ直ぐに応えてくれた。

玩具箱のような音楽性の「たま」に惹かれた幼少期

―『音楽深化論』で大きな注目を集めて、今まさに環境が目まぐるしく変化している真っ只中ではないかと思いますが、どんな気持ちで今の状況に向き合っていますか?

古山:元々はライブの動員もひとりふたりいたらいいなっていうくらいだったし、そのひとりふたりも親が来てくれたらラッキー、くらいの感じだったんです。なので、今の状況が信じられなくて。自分のように思えないというか、どこか他人事のように見ている感じですね。

古山菜の花(こやま なのは)
千葉県八街市出身のシンガーソングライター。大学時代に出会った恩師や仲間の影響を受け、手書きアニメーションとセルフレコーディングを軸にした現在のスタイルを確立。大学卒業後は生計を立てるためにラブホテルの清掃アルバイトを始め、業務中の体験を綴ったnoteでの執筆活動も行う。2025年7月23日には1st EP『菜の花とかいうらしい。』をリリース。2025年8月に放送されたオーディション番組『音楽進化論 〜the battle〜』で優勝。番組内で披露された”もののけはいないよ”のパフォーマンス動画が1カ月で約150万回再生されるなど注目を集めている。

―そもそも『音楽深化論』に参加しようと思ったのは、状況を変えたい、という思いがあったんですか?

古山:そうですね。私はずっと音楽をやってきたんですけど、今年25歳で、勝手に節目を感じていて。「25歳だなあ。頑張らないとな」と思っていたんです。1回目の『音楽深化論』に知り合いのバンドが出たのも見ていたし、「もしかしたら知ってもらえるきっかけになるかもしれない」と思って、応募しました。

―菜の花さんは小さい頃から音楽が身近にあったんですよね。バンドの「たま」も小学生くらいの頃からお好きだったそうですね。

古山:そうなんです。そもそも父がメタル系のバンドをやっていたので、楽器は身近にあって。私自身はずっとピアノを習っていたのでギターには触れていなかったんですけど、小学生3、4年生の頃にたまを知って、「自分もギターを始めよう」となりました。

―たまのどんなところに惹かれたんですか?

古山:アルバム1枚通して曲の雰囲気も違えば、歌っている人も違う、作っている人も違う……そんな、まったく飽きないおもちゃ箱のような部分に惹かれたんだと思います。いつ聴いても新鮮に感じます。

―調べていると、たまだけでなく、マキシマム ザ ホルモン、ゆらゆら帝国や坂本慎太郎さん、美空ひばりさん、グルグル映画館、平沢進さん……などなど、菜の花さんの口からはいろいろなアーティストの名前が出てくるなと思うんですけど、「どんな音楽が好きなのか?」あるいは「音楽のどんな部分に惹かれるのか?」と問われると、どうですかね?

古山:私は理論や音楽基礎を知らずにここまで来てしまったんですけど、感覚的に「気持ちいい」と感じるような、そういう体験がある音楽が好きなのかなと思います。

―大学でも音楽を学ばれていたそうですね。

古山:そうなんです。でも、音楽と言ってもちょっと特殊なところで、作曲ではなくパソコンで音楽を作るデスクトップミュージック(DTM)を学んでいました。最初はPAやエンジニアの学科に進もうと思って、いろいろな大学を見ていたんですけど、私が通っていた大学のオープンキャンパスで受けた講義がとても面白くて。私の恩師と言える人の講義だったんですけど、その講義を受けたときに「ここだ!」と思ったんです。

―それはどんな講義だったんですか?

古山:部屋の真ん中にマイクを立てて、鍵をチャラチャラ鳴らした音を録音して、それをいっぱいあるスピーカーで聴くという立体音響の講義だったんですけど、自分がそれまでまったく知らなかった世界だったんですよね。「なんだこれ⁉」と思って。

―そこから大学に進んで、DTMを学ぶわけですね。大学で学んだことは、今の菜の花さんの曲作りやレコーディングに生きているなと感じますか?

古山:感じますね。DTMを学んでいると、周りにはボカロPもいればヒップホップをやっている子もいて、コースのみんなジャンルがバラバラだったんです。でも、その先生は生徒一人ひとりのやりたいことを尊重してくれる方だったので、そこで私も、自分がやりたいことや、作ってみたいものについて考えることができて。そこで見つけた「日常音を録音して、それを曲に使う」という手法は今も自分の作品作りでよく使います。

―お話を聞いていると、作詞作曲だけでなく、「録る」ということにも菜の花さんの関心は深く向いているんだなと思うんですけど、そもそもPAやエンジニアを学ぼうと思っていたのも、そんな感性と繋がっていたんですかね?

古山:どうなんでしょう。私の父親がPAをやっているので、いろいろ話を聞いていたんです。小さなお祭りとかですけど、現場に連れて行ってくれて、機材を見せてくれたり、触らせてくれることもあって。そういう経験を通じて「面白いかも」と思っていたんですよね。

「運動も友達作りも苦手だけど、音楽は『あって当たり前』だった」

―曲作りはいつ頃から始められたんですか?

古山:小学生の頃からです。初めて「自分で曲を作ってみたい」と思ったのはギターを始めた後なので、小3、4年生くらい。作っては親に披露していました。今、自分のYouTubeチャンネルにミュージックビデオを上げている“死にたいばっか”という曲があるんですけど、あの曲は、歌詞は大人になってから改良に改良を重ねていますけど、メロディ自体は小学生の頃に作ったものをちょっと改良したくらいなんです。

―そうなんですね! 作曲者として、その頃から地続きなものがしっかりあるんですね。

古山:そうですね。掘り起こしては作り変えて、みたいなことはやりますね。

―演奏される楽器としては、ギターとピアノがメインですよね?

古山:レコーディングではアコーディオンだったり、マンドリンだったりを弾いたりすることもありますけど、ライブではピアノとギターです。

―ピアノとギター、それぞれどんなところが好きですか?

古山:うーん……こういう言い方をすると怒られてしまうかもしれないけど、ピアノやギターは、その曲を成り立たせるためのものだと思っています。だから私は曲によって、楽器を使い分けるんだと思うんです。

―音楽をやりながら生きていくことを決心したタイミングってあったんですか?

古山:小学6年生の卒業文集にはもう書いてましたね(笑)。

―早いですね(笑)。なんで菜の花さんは、そんなに音楽を好きになったんでしょうね?

古山:私は勉強もそんなに得意ではなかったんですけど、特に運動がからっきし苦手だったんです。「運動、あんまり得意じゃないんですよ」というレベルじゃないくらい苦手で。泳げないし、50メートル走は12秒とかだし。それに引っ込み思案なので、友達付き合いもそこまで得意じゃなくて。そんな中で、ピアノは習っていましたけど、ギターは習わずにやってきて。ずっと夢中になってやっていたものが音楽だったんです。気づいたら「あって当たり前」のものになっていたんですよね。

―高校では軽音部に入ったそうですけど、そこでの経験は菜の花さんにとってどんなものだったんですか?

古山:それまでもバンドのライブを観に行ったことはたくさんありましたけど、高校に入って先輩のバンドのライブを見たのは衝撃的な体験でした。「自分と近しい歳の人たちがこんなにかっこいいバンドをやっているんだ!」って。それで「私もやりたいな!」と思ったんです。弾き語りだけじゃなくて、サウンドとしていろいろ入ってくるようなものを私も作ってみたいなと。

―コピーバンドも結構やりましたか?

古山:そうですね、軽音楽部内でもやったんですけど、私はそこまで学校に居場所がなかったので、外に出て他の高校の子と組んでやっていました。私が初めてちゃんと組んだバンドは、マキシマム ザ ホルモンのコピーバンドなんです。

―マキシマム ザ ホルモンの曲は演奏するのが難しそうですね。

古山:難しかったです。しかも、私たちは3ピース構成でやっていて(笑)。私がギターとダイスケはんのパートをやって、ベースに(マキシマムザ)亮君のパートを歌わせて、みたいな。なかなかの編成でしたね(笑)。

「少数派な意見でも、誰かが寄り添ってくれるような音楽がずっと好きだった」

―今もAho-Electronicsというバンドもやられているんですよね。このバンドはどんなふうに始まったんですか?

古山:コロナの自粛期間に始まったんです。メンバーは高校時代からの友達で、みんな高校は違うんですけど、スタジオにたむろして遊んでいた仲間なんです。最初はオンラインゲームをして遊んでいる集まりだったんですけど、ちょうどできる楽器もそれぞれベース、ドラム、ギター、ギターだったので、「何かできるんじゃないか?」となって始まったバンドでした。バンドメンバーもみんなのんびりした性格なので、のんびりと、みんなの居場所として続けていけたらいいなと思っているバンドです。

https://youtu.be/8i5ojTw28M0?si=zkVRqhuS6IDaKWcU

―バンド名、すごいですよね。

古山:これはルーレットで決めました(笑)。

―(笑)。今、『音大出たけど飯食えません』というYouTubeラジオを一緒にやられている方々は、大学時代で知り合った方々ですか?

古山:そうです、大学で出会った仲間たち。ひとりはトラックメイカーでハイパーポップというジャンルの音楽をやっている子で、もうひとりは元々クラシックが好きで、今はアイドルが好きっていう子なんです。3人ともやっている音楽のジャンルも、聴く音楽の系統もファッションも全然違うんですけど、何故か意気投合して(笑)。ずっと仲がいいんですよね。

https://youtu.be/o-yegFIcteo?si=LP8p3fvlxDofU-Aa

―なんで仲良くなれたんでしょうね。

古山:3人とも言うんですけど、最初は「こいつとは交わらないだろう」と思っていた者同士なんですよ(笑)。でも気づいたら仲良くなっていて。音大って学費も高いし、『音大出たけど飯食えません』なんて言うと、「でも音大は通えたんでしょう?」と思われるかもしれないですけど、私が通っていた学部の中で、私たち3人が唯一奨学金を借りていた3人だったんです。お金のない3人だったんですよね(笑)。

古山:親に感謝しながら通っていました。音大って、「自宅にグランドピアノがあります」とか「親に機材を買ってもらいました」という子ばっかりだったんですけど、だからこそ、この3人は意気投合できたのかなと思います。

―ラジオを聞くと、菜の花さん含め、自分の手足をちゃんと動かして音楽活動をしていきたい方々なんだろな、と感じました。

古山:「自分の作品を見てもらいたい」という気持ちは強いと思います。ずっと、作りたいものを作っていけるように活動していきたいとは思いますね。

―菜の花さんにとっては、歌を歌うことも昔から身近なことなんですか?

古山:昔から歌を歌うのが大好きで、子どもの頃は敬老会で美空ひばりさんや田畑義夫さんを歌ったりしていました。ただ、バンドをやるようになってからは何故か歌を歌わず、楽器を弾くことに徹していたんですよね。

そこから、大学1年生か2年生くらいの頃に組んだバンドで、私が作詞作曲をして、ボーカルの子に歌ってもらったことがあったんですけど、やっぱり自分が作った曲なので、思い入れが強くて。どうしても、「いや、そうじゃないよ」と思っちゃう。結局、我が強くて私はそのバンドから脱退しちゃったんですけど、「だったら自分で歌った方が早くないか?」と思い始めて、自分で曲を作り、自分で歌うようになりました。

―どんな歌がお好きですか?

古山:私自身がすごく暗い人間なので。自分が作りたいものもそうなんですけど、寄り添ってくれるものに惹かれやすいなと思います。友達が少なかったので、ずっと自分の中で架空の友達を作ったりしていたし。一見、少数派な意見であっても、誰かは共感してくれるような、寄り添ってくれるような……そんな音楽が、きっと今までも好きだったんだろうなと思います。

「肯定するわけでも、否定するわけでもなく、その人たちのことを知ってほしい」

―YouTubeにアップされている“ラブホテルで働くということ”のピアノ弾き語り動画の概要欄には「日本のアンダーグラウンドな界隈に興味」があったと綴られていますね。アンダーグラウンドな文化に惹かれていったのも、寄り添ってくれるものを探していたからなのでしょうか。

古山:どうなんでしょう。清掃員としてラブホテルで働くようになったきっかけもそうなんですけど、ルポを見るのにハマった時期があったんです。元々、趣味が「ホテル街巡り」なくらい日本の性文化に興味があったんですけど、そこから自分が実際にラブホテルで働き始めると、そういうお店の方がホテルに来るんですよね。中には明らかに私より年下の方だっているし、「その人たちはどんな気持ちでドアをノックしているんだろう?」とか、いろいろと考えてしまって。

https://youtu.be/WEgRk_IKACQ?si=nFaloU5ogWggp73A

古山:単純に、入口は「興味がある」だったんです。でも知っていくうちに、肯定するわけでも、否定するわけでもなく、その人たちのことを知ってほしい、というか……そういうふうに思ってしまったんですよね。

―“ラブホテルで働くということ”はまさに、そういうふうに生まれた曲なんですね。

古山:そうです。私はいろいろとバイトをしてきて、前の職場では心身ともに病んでしまったりもしたんですけど、それでもお金がないからダブルワークをしようということで、ラブホテルで働き始めたんです。職場の人たちは、最初こそ不愛想でしたけど、すごく温かくて。働いている人たちの人間性に感動したんです。その感動がモロに出ている曲だと思います。素晴らしい出会いだなと思いました。

―菜の花さんにとって歌や表現というものは、この世界に確かにあって、でも、多くの人には見えていなかったり、見ようとしていなかったりするものを、「でも、それは確かに存在しているんだ」と伝えていくためものでもあるんですかね。

古山:どうなんでしょう、“ラブホテルで働くということ”に関しては、気づいたら書いていたんですよね。いつもnoteに勤務日記みたいなものを書いているんですけど、それも、業務中は深夜が暇になっちゃうので、メモ程度に書き始めたものだったんです。それを書いていたら、感情が溢れてきてしまったことがあって。「なんとか、ここで働いている人たちのことを知ってもらえないかな?」って。

歌詞にも綴っていますけど、お客さんと揉めたときに「底辺が~」とか「馬鹿だからそういう仕事にしか就けないんだ」とか、そういうことを言う人もいっぱいいるんです。周りの人に「清掃員なんて」と言われたこともあるし。でも、実際に私の周りで働いている人の中には、ろくでもない人なんていない。ただ、それを知ってほしかったんです。

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