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「運動も友達作りも苦手だけど、音楽は『あって当たり前』だった」
―曲作りはいつ頃から始められたんですか?
古山:小学生の頃からです。初めて「自分で曲を作ってみたい」と思ったのはギターを始めた後なので、小3、4年生くらい。作っては親に披露していました。今、自分のYouTubeチャンネルにミュージックビデオを上げている“死にたいばっか”という曲があるんですけど、あの曲は、歌詞は大人になってから改良に改良を重ねていますけど、メロディ自体は小学生の頃に作ったものをちょっと改良したくらいなんです。
―そうなんですね! 作曲者として、その頃から地続きなものがしっかりあるんですね。
古山:そうですね。掘り起こしては作り変えて、みたいなことはやりますね。

―演奏される楽器としては、ギターとピアノがメインですよね?
古山:レコーディングではアコーディオンだったり、マンドリンだったりを弾いたりすることもありますけど、ライブではピアノとギターです。
―ピアノとギター、それぞれどんなところが好きですか?
古山:うーん……こういう言い方をすると怒られてしまうかもしれないけど、ピアノやギターは、その曲を成り立たせるためのものだと思っています。だから私は曲によって、楽器を使い分けるんだと思うんです。
―音楽をやりながら生きていくことを決心したタイミングってあったんですか?
古山:小学6年生の卒業文集にはもう書いてましたね(笑)。
―早いですね(笑)。なんで菜の花さんは、そんなに音楽を好きになったんでしょうね?
古山:私は勉強もそんなに得意ではなかったんですけど、特に運動がからっきし苦手だったんです。「運動、あんまり得意じゃないんですよ」というレベルじゃないくらい苦手で。泳げないし、50メートル走は12秒とかだし。それに引っ込み思案なので、友達付き合いもそこまで得意じゃなくて。そんな中で、ピアノは習っていましたけど、ギターは習わずにやってきて。ずっと夢中になってやっていたものが音楽だったんです。気づいたら「あって当たり前」のものになっていたんですよね。

―高校では軽音部に入ったそうですけど、そこでの経験は菜の花さんにとってどんなものだったんですか?
古山:それまでもバンドのライブを観に行ったことはたくさんありましたけど、高校に入って先輩のバンドのライブを見たのは衝撃的な体験でした。「自分と近しい歳の人たちがこんなにかっこいいバンドをやっているんだ!」って。それで「私もやりたいな!」と思ったんです。弾き語りだけじゃなくて、サウンドとしていろいろ入ってくるようなものを私も作ってみたいなと。
―コピーバンドも結構やりましたか?
古山:そうですね、軽音楽部内でもやったんですけど、私はそこまで学校に居場所がなかったので、外に出て他の高校の子と組んでやっていました。私が初めてちゃんと組んだバンドは、マキシマム ザ ホルモンのコピーバンドなんです。

―マキシマム ザ ホルモンの曲は演奏するのが難しそうですね。
古山:難しかったです。しかも、私たちは3ピース構成でやっていて(笑)。私がギターとダイスケはんのパートをやって、ベースに(マキシマムザ)亮君のパートを歌わせて、みたいな。なかなかの編成でしたね(笑)。