混乱の時代の後も、人の営みは次の時代に必ず続くことを示唆した『もののけ姫』は、今観客にどのように届くだろうか? ライター・島貫泰介が、本作について改めて論じる。
INDEX
『もののけ姫』は『風の谷のナウシカ2』である
『もののけ姫』は『風の谷のナウシカ2』である。少なくとも12年をかけて描かれた漫画版ナウシカの変奏として『もののけ姫』はつくられた、そう思っている。
共通点はもちろん多い。人間を寄せ付けないシシ神の森(杜)は腐海に近く、荒ぶる自然を御そうと試みるタタラ場はトルメキア王国や土鬼諸侯国であり、それら自然と人間社会を行き来して奔走するアシタカ(と、もののけ姫=サン)はナウシカ的な存在である。近代的合理性を身につけた勇壮なエボシ御前はもちろんトルメキアの皇女・クシャナであるし、エボシと有力大名や地侍たちの対立は『ナウシカ』での人間勢力間の小競り合いの構図だ。「師匠連」なる謎の組織の構成員でありながらアシタカとエボシの双方に通じるジコ坊は、ナウシカの精神的指導者である旅の剣士ユパやクシャナの副官であるクロトワ、さらに土鬼諸侯国の僧侶・チヤルカなどの要素を複合させたトリックスター的な人物である。

よく知られるように映画版ナウシカは、漫画版の設定を部分的に改変し、全7巻におよぶ単行本の2巻目途中までを描いた。巨神兵の幼体(胚)を積んだトルメキア輸送機が風の谷に墜落し、そのことによって故郷が王蟲の群れによって壊滅するかもしれない危機は、ナウシカが仲介する自然と人間の融和によって希望にあふれたエンディングに着地する。漫画版ではさらにその後が描かれ、いずれ人間のために自然修復していくと思われた自然環境は人間の楽観的な予測をあっけなく裏切る(長いあいだ腐海と共に生きてきた未来の人間は、「火の7日間」や「大海嘯」が起こる以前の大気に順応できないからだになっており、やがて再来する清浄な世界では生きていけない)。それでもなお、苦界をもがいて生き抜こうとする「意志」こそが人間の条件であり、ナウシカは「私達の生命は私達のものだ」「私達は血を吐きつつ くり返しくり返し その朝をこえてとぶ鳥だ!!」と絶叫して、人類を合理的に庇護してきた旧社会のシステムを完全破壊するのが漫画版の結末であり、そのラディカルさは、子ども向けの漫画映画の域を出られなかった映画版を自ら批判している。
世界に対する愛憎と抵抗の物語こそ、宮崎駿が本来描きたかった『風の谷のナウシカ』ではあるのだが、しかし、あまりに観念的すぎた結末は「ぐちゃぐちゃで、何の喜びもなく、完結できていない」と宮崎自身が苦々しく述懐してもいる。つまり『ナウシカ』は、二度失敗しているのだ。
